もう誰にも死んでほしくない

悲しい報せを受けて、どれくらいの時間泣いていたか、気づけばソファで項垂れて地面と平行の世界を見つめていた。

そうしていると部屋の扉が開いて愛猫がお気に入りのおもちゃをくわえてトコトコとやって来て「遊んで」と言わんばかりに私の顔の前にポトンと置いた。

私はそのおもちゃを手に取って起き上がり、軽快におもちゃを揺さぶって見せた、ノリノリな猫がかわいくてつい熱が入る。

大きく体ごと動いた時、エアコンの風が当たって頬で涙が冷えていくのを感じた。

わたしは猫がかわいくて笑っていた。

 

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何故だかわからないけど「救えなかった」と思った。彼女のSNSをフォローしていた。コメントはしたことはなかったけどテレビでももちろん拝見していたし、YouTubeをたまに観たりしていて「家族みんなで元気でいてほしいな」と思っていた。あの家族が好きだった。彼女の人生や最期に口を出すつもりは全くない。だけど言葉にせずにはいられなかったからここに。

あえて見ていないけどSNSにはきっと憶測や知ったような口を聞く奴がうじゃうじゃいるんだろう。早く気づいてくれ。

生きてていい命が、生きるべき命が、なぜこんなにも人がいて、自ら消えなくてはいけないのか。

人はそこまで強くならなくてはいけないか。

人は無力だ。どこまでも無力だ。

すべては曖昧の中にある。渦の中にある。

息子の誕生日に死なざるを得なかった彼女の気持ちをお前も私もこのまま一生わからずに生きていくのだ。

考えてほしい。たくさん考えてほしい。

残された私達が思いや考えを巡らすことは、戻ってこない彼らへの一縷の望みにはならぬだろうか。僅かながらの弔いにはなれぬだろうか。

 

綺麗な人だった。

おはよう

2021年の12月22日に大好きなバンドが横浜アリーナ公演をもって活動休止をした。

所属するグループの解散を約1年と目の前にした彼女は活動休止の理由を「解散に向けてグループに集中するため」とした。

理由はしっかりとした誠実なものだし応援したいものだったけど当時の私は活動休止の日が来るまで受け止めきれずにいた。

どんな気持ちで活休前最後となるライブを観ればよかったんだろうか。今も考える。

ライブは終始泣きっぱなしで、今も思い出せる視界は全てぼやけたものである。

心の整理が何一つつかないまま迎えた日だった。

当時のわたしを支える全てだったから。お別れするのが寂しいというよりかは怖かった。事実、その日以降のわたしの生活や心はかなり沈んだ。

と言っても否が応でも生活は続くものだ。なし崩し的になんとか時間を過ごした。

それから自分の生活にも色んなことが起こったけど、その度にお守りのようにお決まりのアルバムを聴いた。聴いては聴いては眠れず朝を迎えたり、泣きながら通勤したりしたり、真っ暗な部屋の中で張り裂けそうな心に蓋をした。

正直言って休止をいつ受け入れられたのはわからない。今も、受け入れきれていたのか、そう問われるとはっきりとした答えが見つからなくはある。といったところだろうか。

 

そんな日々に「おはよう」と光が差した。4月某日、再始動を告げるメールが届いたのだった。

私はこの日からずっと体の中のどこかで動いていなかった器官が動き始めたような気がした。

とにかく嬉しかった。死んではならない理由が増えた。

 

2023年6月30日。色んな気持ちを抱え、新代田FEVERへ。揃いのTシャツを着た人々の列に私も加わり新しいグッズを購入した。

開演までずっとフワフワした気持ちだった。朝起きてから歯磨きをしてる時間も片道2時間半の電車もグッズを買ってる時もなんだか現実味が伴っていなかった。気持ちを落ち着かせるため持参した本を読み、開演までの時間を過ごした。会場で流れていたSEはどれも聞き覚えのある歌だった。この空間も、思えば久しぶりだったなあ。PEDROのライブ前のSEはいつも私の知っている歌だった。確か、活休前最後の横浜アリーナでやった時のSEは落日飛車だったっけ?Noa Malだったっけ?今思い出せるだけで4曲くらいのサビが頭に流れてくる。活休前最後のツアーの時のSEは落日飛車のbossa novaってアルバムだったと思うなあ。I know you know I love you って歌の「アイラビュ〜アイラビュ〜アイラビュ〜♪」って優しい響きを今でも覚えてる。ライブ前のあのなんとも言えない緊張感を優しくほぐしてくれた記憶はがある。今でも好きな歌だ。

 

そんなことを思い出しながらだといつも読んでる本もページを捲る手が遅くなった。あまり集中できないまま開演10分前になり、楽器の最終チェックやらスタッフさんのお話などありつつ、開演時間を迎えた。

 

整理番号はそこそこ良かった方で、立ってた位置は下手の前から4列目あたりだったけどメンバーが登場するや否や、後ろからの圧縮がかかり運悪く周りが背の高い男性ばかりだったため80%だった視界が10%ほどになり、ベースはおろか彼女の顔から下は全く見えなくなった。コロナが5類移行になってからのオールスタンディングのライブ自体が初めてだったのでかなり久々の圧縮に最初の5分か10分くらいは戸惑いながらもなんとか視界に彼女の姿を捉えようと背伸びをし続けた。前の人がパーマを当ててなければ…とか思いつつ、デザインパーマが少し揺れると覗ける彼女の顔を祈りながら目で追い続けた。

 

「活動休止が決まってから書いた歌です」と横浜アリーナで教えてくれたあの歌から始まった。この歌に何度励まされただろう。いつから泣いていたのか、いつのまにか涙が止まらなくなっていた。感情の把握より先に心が何かを察知して泣いているんだと思った。PEDROのライブではこういう涙を流すことが多かったことを思い出した。

少しアレンジが変わっていて新鮮だった。歌い方も少し変わっている箇所があったりして。時速36kmの仲川さんの、ライブになると歌い方に毎回アレンジが入っちゃうやつを思い出したりして。たぶん意図せず歌詞を変える結果になってしまったところもあったと思うんだけど、本人は結構気にすると思うんだけど「そういうのも、新鮮でライブらしくて良いじゃないですか、思っているより悪くないから安心して」と言ってあげたかった。そういう気持ちだった。

正直、活休前の演奏と比べると劣ってみえる部分はあったけど、7年間全てを捧げて突っ走ってきたグループの解散から昨日の今日で、今ベースを持ってステージに立っているわけで。

同情するわけでなく、そんな強い人間である必要はないと思う、ということを私は言いたい。そこまで強くなってしまったら私は逆に心配になるかもしれないな。どこまでも完璧になられてしまったら。人はみな、弱さを抱えて生きているのにそこまで逞しくなられたら、寂しく思う。

それでもステージに立つ彼女の姿は私の目には充分逞しく見えた。途中頭を抱えそうになる姿はあの頃と何も変わってなくて、それでも前を向いて力強い歌声でこちらに届けようとする姿勢はより一層力強さを増したように感じた。

途中、休止していた2年間を3年間と言い間違える場面があったけど、間違いではなく、彼女にとってはそれだけ怒涛の日々の連続だったのだろうと思った。時間の流れ方や1日の速度は私なんかが想像できるようなものではなかっただろう。だからあの時出た「3年間」というワードはそういう意味では正直な言葉だったよね。

一曲一曲ごとに思い出す記憶があって、この曲たちと生きてきた事実を実感していた。過去がちゃんと今に繋がっていること、振り返らないようにしていた過去たちが急に愛おしく思えた。あの日々も愛おしい日々の欠片なのだと目の前で歌うアユニちゃんの姿を見て、そう思った。目を閉じても開けてもそこにはベースを弾くアユニちゃんがいて、どうやってもそれは現実で、嬉しくてたまらなかった。また一つ何か報われた気がした。

 

「魔法」と「安眠」は特に支えられた歌だった。

どうしても生きていたくなくて暗い部屋で泣き通した夜や枕元に携帯を置いて歌を流して眠りについていた日々を思い出した。得体の知れない苦しみに覆われ張り裂けそうな心を宥めてくれたのはいつも「魔法」だった。「あなたは死なないわ」アユニちゃんがそう歌ってくれるだけでなんとなくまだ死なずに済むと思った。私にとって不思議な力で守ってくれる頼りになる魔法の歌だった。

それがまたこうやって聴けて、感無量というか、一緒に生き延びたんだと、やっと思えた。さらに頼もしい歌に聴こえた。

以前は寝れない夜に苦しんでいたけど今は寝るのに必死になっているという睡眠に対する変化のMCを挟んでから始まった「安眠」はあの頃よりどことなく爽やかに聴こえたのは何故だろうか。私も最近やっと夜ちゃんと寝れるようになってきて、悪夢も前ほどは見なくなった。そんな自分の変化が関係しているんだろうか。そんなことを思った。好きな歌詞はずっと好きだなあ。何度も同じフレーズを噛み締めて涙を拭いたなあ。アユニちゃんの音楽が私を生かしてくれていたんだなあとつくづく思った。「足らないとこも素敵よ綺麗よ、欠けてる月が綺麗なように」と月を見上げてまだ踏ん張れるはずだと私に何度も思わせてくれたね。私には励まされなかった歌詞なんかないんだ。全てを包み込んでくれたのがPEDROの歌だった。ほんとにほんとに救われてたよ。

こうやってまた会えて幸せだね。と思う気持ちと、また一つ何か乗り越えられた気がして、頑張ったよね私たち。と思った。

その他にもたくさんたくさん書きたいことはあるけど、とりあえず芯のところは書けたかな。という気がするので今夜はここら辺で。

 

私服(多分)でライブしてるのめちゃくちゃ良かった。

私は確認できなかったんだけど、裸足で演奏してたっぽくて、少しその映像を観たけどかっこよかった。その姿勢がね、逞しかったよ。

新曲の歌詞が数日経った今でも頭の中で反復してる。飛んでいけ、穏やかな空気を纏っている曲だったなあ。印象的な歌詞がたくさんあって聴いててワクワクしたなあ。手紙、ギターリフがかなりかっこよくてすぐに引き込まれた。1サビの最後に目線が合った?気がしたりしたんだけど、鋭いあの目つきの再来に痺れつつも、懐かしくて涙が出た。ただただ嬉しい時間だった。

これであの日々と今がやっと繋がったように思う。感謝でいっぱい。君の存在で救われた一人の人間がいることをどうやったら伝えられるんだろうね。花束の一つも送れなくて。

また会えるように日々を精一杯生きていくしかないんだろうなあ。目と目を合わせて「ありがとう」を伝えに行くしかないんだろうなあ。

私の生存に君の存在が必要不可欠なこと忘れないでほしいな。

嬉しい1日だった。

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解散

6月29日にずっと好きだったグループが解散した。彼女達の8年の歴史の約3年ほどしか一緒に過ごすことはできなかったけどそれでも充分に、私にとっては青春だった。

 

初めてライブを観たのは2020年の1月だった。解散ライブの前夜、明日で解散だなんてまだ実感が湧かなかった私は、なんとなくグーグルフォトでその頃から今までの思い出を振り返っていた。

1枚1枚の写真それぞれにちゃんと思い出が伴っているのが嬉しかった。思い出たちの一つ一つが今もこうして私の体の一部になっているんだと感じて嬉しかった。

スクロールしていた指はあっという間に最近行ったライブの写真まで来て、なんだか、思い出の量と写真の数があっていない気がして「あっという間だったな」という気持ちになった。

数えようとすればきっと数えられるくらいしか会いに行けてないとは思うけど、今も当時も私の生活はBiSHに支えられ生かされていたなあと思う。

 

BiSHに会うと心が躍った。知らない私にも出会わせてくれた。勇気をくれた。どんなときでも生活に必要な存在だった。時に人生がうまく歩めなくなっても何もわからなくなってもBiSHに会いに行きたい気持ちは私の中で消えることはなかったこと、それだけ私の血であったのだなと思う。

 

何より、アユニちゃんには救われてばかりだった。こうして電車の中で文字にしている今でも気を抜いたら涙がこぼれてしまいそうだ。BiSHになってくれて、BiSHのアユニ・Dでここまでずっと生きていてくれてありがとうと大きな花束を送りたい。私がどんな状態であってもアユニちゃんはステージで笑っていてくれたこと、それだけで守られた何かがあったと今だからこそ思う。

 

初めてライブを観た日も妹2人と一緒だった。最後のライブもあの日同じ3人で行けてお姉ちゃんは嬉しかったな。

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お互い色々あったけど頑張って生きていこう。

まだまだこんなに熱くなれる私たちはきっとまだ生きていけるはずだ。

言葉でこそ言わなかったけど、3人ともそんな風に思っていたと思う。それぞれの岐路へと別れた2人の目はいつもより生き生きしていた。それが何よりの証拠だろう。

 

「あなたもわたしも幸せ者!」って言っていたアユニちゃんの言葉が忘れられないな。同じ世界に生まれて、出会って、息ができている幸運に、これから私たちはどう答えよう。絡みつく足枷は誰にでもあるさ、目の前の暮らしに精一杯でも美しいさ、その精一杯はきっと裏切らないし君以外の誰にも馬鹿にできないよ。馬鹿にさせちゃダメだ。放たれた羊のように、空の鳥のように、大地を、大空を駆けてこそ、君で私だ!

 

美しいこの景色と思い出を一生忘れない。

この思い出と共にこれからも私は生きていく。

 

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BiSHさんは永遠に、私の一番星だよ。

最高の夜でした。愛しています。

出会ってくれてありがとう。

いつまでも健やかに、笑っていてね。

 

おかえり

今は北海道から帰る飛行機の中です。

妹が隣で疲れて寝ていて、私は窓の外の景色を見ていて、理由もなく涙が出てきた。

寂しさに似た気持ちと自分の中に決意のような、炎のようなものが生まれている気がした。

「いまから帰る場所でまた頑張ろう。」心の中でそう言った。

それと同時に待ち受けるものが明確に頭にいくつか浮かんだ。多分きっとこの先も理不尽なことは尽きないし、不幸を振り払うことも難しい。そういうものなんだ。私の味方は私しかいないし、私は私にしか救えない。私は私のためにタフでいよう。今の苦しみや悲しみをいつかの誰かの涙を解ってあげれるように役立てよう。苦しみに耐えるために強くなるんじゃなくて、強くなって愛する人を守れるような、そんな人間になりたい。

 

これまでに何回か北海道に来たけど毎回無視できない気持ちがある。

“自分の気持ちに嘘はつけない”ということ。

私を取り巻く環境の中で体が乗っ取られたような、空っぽのまま生きていると、無意識のうちに自分で心をがんじがらめにしていた。それはもう一度も傷つかないように、もう誰のことも信じてしまわぬように、もう何も望んでしまわぬように。

そうしないと生きれなかった日々がそんな私の一面をつくった。

 

でも妹とこうして北海道だったり家から遠く離れた場所へ訪れる度に自分の心がどうしようもなく喜んでいるのを痛感するのだ。家からだんだん離れていく行くバスの中や飛行機の中が心地よかった。清々しかった。その度に諦めた願いや望みへの未練に対して「本当はまだ諦めたくないの、わかってたよ」という気持ちになった。毎回複雑だったけど、私の心だから、私の心の持ち主は私だから、どうやっても欺けないんだね。

 

飛行機や電車みたいにそれぞれの人生があちこちで行き交っているんだから、同じ場所で待ち合わせしても会えないことだってあるしすれ違いの連続だってごく自然なことなのに、こんなにたくさんの人が同じ目的のために同じ気持ちで集まるなんてすごいことだよね。人生に何度もないと思う。とっても素敵な夜に居合わせれてうれしかった。光栄でした。

 

なによりアユニちゃんに感謝したいです。

今やっと強くなってるって思えてる。

ほんとに出会ってくれてありがとう。

この夜は私のこれからの暮らしの中できっと光ってくれるでしょう。

おかえりなさい。1番あたたかくて、1番綺麗だったよ。愛してるよ。

 

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あ〜たのしかった!!うれしかった!!

ペドロもおかえりだね、おめでとう!!嬉しい!

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ずっと残る甘いガム 2023・0305

(ずっと下書きにあって投稿日と書いた日にズレが生じてしまった)

今日は妹と東京に出向き、BiSHのライブに行きました。先月にもBiSHさんに会う機会が2回ほどあったけどその時のこともまたいつか記す事にします。

今は帰りの電車の中です。言葉の鮮度を保ちたくていま日記を書くことにしました。

BiSHのライブだけに言えることじゃないけど、だんだんライブへ足を運ぶことへのハードルが上がってきてしまった最近は、行きたいライブは沢山あるのにお金のことや家庭の問題があってそのほとんどを諦めなければいけなくなった。

そんな中でも時間を作って妹と予定を合わせてBiSHのライブにだけはなるべく行けるようにしてる。今月から始まる解散前のラストツアーにも何箇所か行く予定であるし、頑張って時間とお金を作って行くつもり。彼女たちにはそれだけの労力を注ぐ価値が私たちの中ではあるって共通して認識してるから。こういう話になるといつも思い出すインタビューがあって、NOT WONKの加藤さんの記事の中で「あの、若い世代、みんなカネないじゃないですか。遊ぶ金もないって絶対ダメだと思うんですね。いまやライブ来れたりレコード買ったりできるのって金持ちじゃないですか。1,000円でストリーミング聴き放題なのに、一枚のLPに3,800円とか払えるって……。だから音楽好きなやつ、自分の時間とカネを作るのに相当頑張ってると思う。僕もそういうことをやってるひとりで。好きなことやるっていうのは大変ですよね。仕事すんのも大変だけど。」って話をしてるところがあって…私の中ではライブに行くのは生活の一部だったから頑張ってるって意識したことなくて、でも確かに頑張ってるのかもしれないって初めて思えて、なんだか自分の助かりのために頑張れてる自分を認識できた気がして心が軽くなったのを覚えてる。

コロナで制限されていた声出しも徐々に解禁されている中で、今日のライブも声出しが認められていて本当に久々にライブ中に声を出した。コールも久々にしたけど長かった声出し厳禁ルールに慣れてて全然喉が開いてなくてちいせえ声しか出なかった。全然出したい声が出なくて終始意味わかんなかったけどそれもそれでそのぎこちなさが面白かったし良かったよなと思う。

アユニちゃん生き物として最強すぎた。このタイミングでウインクとかしたらみんなが蕩けちゃうの分かってるよね?と思った。アユニちゃんの全部にやられてしまった。表情も声も動きもほんとに全部に完敗。こんなにこんなにかわいくて、しかも中身の人間性まで素敵で大好きで尊敬できて……こんな人間に生きてるうちに会えたのってほんとに奇跡でしかない。私の人生史で1番の奇跡だよな。自分が無意識に頭抱えちゃう人間だったこと思い出したりした。可愛すぎてどうしよう!ってなって頭抱えるしかなくなるんだった。体はずっとふにゃふにゃしちゃって私の体の1番外側は若干溶けちゃってたんじゃないかな。ほんとにだいすき。いちばんかわいくてすきだな。

妹と隣で見てる時に色々思った。

「毎日いろんな悲しみあるけど、いまこうして目の前で世界で1番好きな人が歌ってて、それを一緒に笑ったり泣きながらして観れて、もう私たちのこれからにはいろんな悲しみが山積みで全部なんとかしなくちゃいけないって深刻になって沢山背負い込んでたけど、今いるこの場所はずっと変わらない私たちの安息地だね」と思った。隣で楽しそうにしてる妹みたら涙止まらなくなった。妹もそのあと号泣してた。泣きながら一緒に笑った。

私きっかけで妹はBiSHを知ってもう1人の妹と3人でずっと一緒にライブ行ったりとかしてきたんだけど、本当に1番最初に3人でBiSHを体感したのはライブに行き出すちょっと前に行ったカラオケだった。3人でお台場のラウンドワン行ってすっごい広い部屋とって大きい画面三つくらいある部屋でライブ映像とか流しながら何時間も熱中して歌ったり踊ったりしたあの日が私たち3人の中で好きが共通したような時間だったなって思う。

それから姉妹3人でライブに通ったり特典会に行ったりする日々になって、思い出すだけで全部ほんと楽しかったなって思う。あの時はずっと3人で笑ってた。それからそんなに月日は経っているわけじゃないと思うけど、たった5年くらいかな、そのくらい前のことだったけど、自分の中でいろんなことがありすぎてすごく昔のことに思える。私たちそれぞれもあの頃と沢山変わったことがあって、その度に生き方や暮らしを変えて、たまたま今日までみんなちゃんと生きてられてる。私は仕事を辞めなくちゃいけなくなったり事故にあったり病気になったり鬱になっちゃったり、妹は上京したり、ライブになかなか行けなくなったり、音信不通になっちゃったり、家族に心配されたり、その下の妹は寂しい思いを我慢したり、最高のパートナーに出会えたりして、お嫁さんになったりして、私たちいろいろあったね。って思う。でも変わらない幸せはずっとここにあったね。手放さずに私たちがずっと選び続けてきたことが私たちの光になってくれてるね。BiSHがいなかったらきっと私は音楽を好きになってなかったかも。妹がいなかったら私はライブというものに一生行かなかったかも。これがなかったら私どう生きてたんだろう。生きてられてたのかな。そう考えると今の私があるのはBiSHと妹のおかげだなって、ライブを観てて、その1番最初のカラオケの日を思い出しました。遠く感じていたあの日と今この瞬間が一本の線で繋がったように思いました。私は生きていたんだ(T . T)と思いました。ずっと実態のないふらついた退屈な私の生活に事実や証が伴ったような感覚だった。

その後のスーパーヒーローミュージックの前振りのアユニちゃんのお話がさらに私の心情を加速させたなあ。ここにいる私たちは他人じゃないよって。「私は音楽に出会っていろんなことに気付かされて幾度となく救われてきました。あなたたちも音楽に沢山救われていると思います。そんな音楽と一緒にこれからも生きていたい。」みたいな感じのことをお話しされていたと思うんだけど、全くおんなじ気持ちですと思った。もっと言うとその音楽は君の音楽ですと思った。私のスーパーヒーローはまさしくきみなんだって叫びたかった。良い歌を生み出してくれて歌ってくれてありがとうって泣きながら思った。歌詞が一つずつ良い歌。アユニちゃんが歌うことでもっと説得力と生命力を含んで私の心に届いてる。そうだよねって思った。素晴らしき人生を生きていたいのはみんな一緒なはずだよねって。私もそれを望んで良いはずだったよねって。

耐えることが私の安心だと錯覚して今まで生きてきてしまってたから私の性質上、期待できないことを期待して労力を注いだり望んだりするのはとても恐ろしいことで本当に体力がいること(かえって深い傷を作ることと紙一重だからほんと怖い)だけど私が私の幸せのために動かなかったら誰が私の幸せのために動いてくれるのって。こんなに毎日悲しいのにまだこうやって好きな人に会うために時間を割けてこんなに楽しくなれるんだからまだ大丈夫かもしれないって思って涙が止まらなかった。なんて感謝したらいいの。ほんとにほんとにありがとうな存在だよ。甘い気持ちになった。頑張らなくちゃ。

 

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思い出のカラオケの写真見つけた4年前?

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わたしはどうしたらいい

わたしはどうしたらいい

仕事と嘘をついて男と遊びに行く母と

呑んだくれの父に囲まれて

 

母を殺したくなるときと母親だった頃の母が恋しくなる夜にどうしたらいい

 

何も悪くない弟や妹を私はどう守ればいい

 

 

うちは共働きではあるが、母が稼いだ金はほぼ男との交際費に渡っているのだろう。家に今晩のおかずになりそうなものがないときでも、母は決して買い物に行かない。私が感じる限り、母には毎月ばっと出るお金があると思う。例えばその男を養っていてその男の生活費まで賄ってやってるとか。去年の5月ごろにその物的証拠となる、母の名前で登録された知らないアパートの水道料金の領収書を見てしまったことがあった。母はそれでも、私や祖母の問いかけにしらを切り続けた。苦し紛れもいいところで、否定しようのない事実がそこにあるのに「知らない」の一点張りだった。怒りや虚しさや悲しみを通り越したところにある静かさを覚えた。辟易し、とにかく全てに疲れてしまった。

 

私が実家に帰ってきてから8ヶ月が経とうとしていて、母に何か感じ取ってほしいと思って率先して家事をしていたが、そんな思いも虚しく、今では母はほぼ一切の家事をしなくなってしまった。むしろ母が遊ぶのに好都合となった。まだ中学生の子供がいるのにご飯も作らず平気で嘘をつき男と遊びに出かけていってしまえるのだった。家事の放棄といっても過言ではないだろう。いつしか私は母に何かを頼むのもとても嫌になった。何かを頼むと、一言目には「えー」とか言って面倒がって、分かっていても私はそう言われるとこんな人を頼りにした自分がバカだったと思うのだった。分かっていても毎回傷ついた。だからだんだん頼むこともできなくなって私がひとりで家事をこなすようになった。とにかく私たちに金を使わない母に代わって、父に私が言ってお金をもらって買い物に行くのだが、そうなると父も母が全く出していないのに薄々気づいているようで私が「買い物に行くからお金を下さい」と言うと「今日はお母さんにもらって」とか言うことがあって、でもそれは無理ない話だと私は思ってて、じゃあお母さんはいったい稼いだ金を何につかってんの?ってなるよね。そう父に言われてしまうと私はもう何も言えなくなってしまう。元々誰かに何かをお願いするのは苦手だし、ましてやお金のことを言うのは心苦しく、早くその空間から逃げたいという思いが先行してしまうことが増えた。そうなると私の頼りない貯金とバイト代から賄うしかなくなった。正直バイト代は手元にはほとんど残らず、生きているだけでかかるお金と毎週の病院代に充てるので精一杯になった。

 

明らかにいつものとは違う派手な下着を畳むとき私がどんな気持ちになるか考えたことある?

男にもらったクリスマスプレゼントを隠さず居間に置いておいて私たちの目はもうどうでもいい?

もう私たちはどうでもいい?

 

祖母が私たちを想って母にちゃんとしろって内容の電話をときたましてくれるのだけど、その話の中で母が「ゆくゆくは出ていくつもりでいる」と言っているらしい。もうその言葉が出たのは半年くらい前のことだけど、そんなことは容易に予想はついていたけど私はなんとなく母は直接言葉にできないと思っていた。もう私の知っている母はいない。

 

 

神様、ご先祖様、どうか私たちをお守りください

そうやって毎朝仏壇に手を合わせるのだった。

明るい世界よ、私に死にたいと思わせてくれ、死にはしないで戻ってくるから、少しの間だけ死ぬつもりで居させてくれ

 

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2

2ってなんの2?ってことですが、このブログを開設してから今日で一年が経ったみたいで、今日から2年目ということで、その意味の2です。適当。

 

早く寝なくちゃいけないから短くまとめる。

 

どうでもいいメールが送られてくる私の別に見なくてもなんとかなりそうなメールボックスの中にはてなブログから今日で一年です!的なメールが来てたからたまたま気づいた。

 

今のところブログはやってみてよかったかも。言えない言葉が文章にすると話せるからスッキリしたりいい時間になってるのかなとら思う。

 

おやすみなさいだめだすっごい眠い