ずっと残る甘いガム 2023・0305

(ずっと下書きにあって投稿日と書いた日にズレが生じてしまった)

今日は妹と東京に出向き、BiSHのライブに行きました。先月にもBiSHさんに会う機会が2回ほどあったけどその時のこともまたいつか記す事にします。

今は帰りの電車の中です。言葉の鮮度を保ちたくていま日記を書くことにしました。

BiSHのライブだけに言えることじゃないけど、だんだんライブへ足を運ぶことへのハードルが上がってきてしまった最近は、行きたいライブは沢山あるのにお金のことや家庭の問題があってそのほとんどを諦めなければいけなくなった。

そんな中でも時間を作って妹と予定を合わせてBiSHのライブにだけはなるべく行けるようにしてる。今月から始まる解散前のラストツアーにも何箇所か行く予定であるし、頑張って時間とお金を作って行くつもり。彼女たちにはそれだけの労力を注ぐ価値が私たちの中ではあるって共通して認識してるから。こういう話になるといつも思い出すインタビューがあって、NOT WONKの加藤さんの記事の中で「あの、若い世代、みんなカネないじゃないですか。遊ぶ金もないって絶対ダメだと思うんですね。いまやライブ来れたりレコード買ったりできるのって金持ちじゃないですか。1,000円でストリーミング聴き放題なのに、一枚のLPに3,800円とか払えるって……。だから音楽好きなやつ、自分の時間とカネを作るのに相当頑張ってると思う。僕もそういうことをやってるひとりで。好きなことやるっていうのは大変ですよね。仕事すんのも大変だけど。」って話をしてるところがあって…私の中ではライブに行くのは生活の一部だったから頑張ってるって意識したことなくて、でも確かに頑張ってるのかもしれないって初めて思えて、なんだか自分の助かりのために頑張れてる自分を認識できた気がして心が軽くなったのを覚えてる。

コロナで制限されていた声出しも徐々に解禁されている中で、今日のライブも声出しが認められていて本当に久々にライブ中に声を出した。コールも久々にしたけど長かった声出し厳禁ルールに慣れてて全然喉が開いてなくてちいせえ声しか出なかった。全然出したい声が出なくて終始意味わかんなかったけどそれもそれでそのぎこちなさが面白かったし良かったよなと思う。

アユニちゃん生き物として最強すぎた。このタイミングでウインクとかしたらみんなが蕩けちゃうの分かってるよね?と思った。アユニちゃんの全部にやられてしまった。表情も声も動きもほんとに全部に完敗。こんなにこんなにかわいくて、しかも中身の人間性まで素敵で大好きで尊敬できて……こんな人間に生きてるうちに会えたのってほんとに奇跡でしかない。私の人生史で1番の奇跡だよな。自分が無意識に頭抱えちゃう人間だったこと思い出したりした。可愛すぎてどうしよう!ってなって頭抱えるしかなくなるんだった。体はずっとふにゃふにゃしちゃって私の体の1番外側は若干溶けちゃってたんじゃないかな。ほんとにだいすき。いちばんかわいくてすきだな。

妹と隣で見てる時に色々思った。

「毎日いろんな悲しみあるけど、いまこうして目の前で世界で1番好きな人が歌ってて、それを一緒に笑ったり泣きながらして観れて、もう私たちのこれからにはいろんな悲しみが山積みで全部なんとかしなくちゃいけないって深刻になって沢山背負い込んでたけど、今いるこの場所はずっと変わらない私たちの安息地だね」と思った。隣で楽しそうにしてる妹みたら涙止まらなくなった。妹もそのあと号泣してた。泣きながら一緒に笑った。

私きっかけで妹はBiSHを知ってもう1人の妹と3人でずっと一緒にライブ行ったりとかしてきたんだけど、本当に1番最初に3人でBiSHを体感したのはライブに行き出すちょっと前に行ったカラオケだった。3人でお台場のラウンドワン行ってすっごい広い部屋とって大きい画面三つくらいある部屋でライブ映像とか流しながら何時間も熱中して歌ったり踊ったりしたあの日が私たち3人の中で好きが共通したような時間だったなって思う。

それから姉妹3人でライブに通ったり特典会に行ったりする日々になって、思い出すだけで全部ほんと楽しかったなって思う。あの時はずっと3人で笑ってた。それからそんなに月日は経っているわけじゃないと思うけど、たった5年くらいかな、そのくらい前のことだったけど、自分の中でいろんなことがありすぎてすごく昔のことに思える。私たちそれぞれもあの頃と沢山変わったことがあって、その度に生き方や暮らしを変えて、たまたま今日までみんなちゃんと生きてられてる。私は仕事を辞めなくちゃいけなくなったり事故にあったり病気になったり鬱になっちゃったり、妹は上京したり、ライブになかなか行けなくなったり、音信不通になっちゃったり、家族に心配されたり、その下の妹は寂しい思いを我慢したり、最高のパートナーに出会えたりして、お嫁さんになったりして、私たちいろいろあったね。って思う。でも変わらない幸せはずっとここにあったね。手放さずに私たちがずっと選び続けてきたことが私たちの光になってくれてるね。BiSHがいなかったらきっと私は音楽を好きになってなかったかも。妹がいなかったら私はライブというものに一生行かなかったかも。これがなかったら私どう生きてたんだろう。生きてられてたのかな。そう考えると今の私があるのはBiSHと妹のおかげだなって、ライブを観てて、その1番最初のカラオケの日を思い出しました。遠く感じていたあの日と今この瞬間が一本の線で繋がったように思いました。私は生きていたんだ(T . T)と思いました。ずっと実態のないふらついた退屈な私の生活に事実や証が伴ったような感覚だった。

その後のスーパーヒーローミュージックの前振りのアユニちゃんのお話がさらに私の心情を加速させたなあ。ここにいる私たちは他人じゃないよって。「私は音楽に出会っていろんなことに気付かされて幾度となく救われてきました。あなたたちも音楽に沢山救われていると思います。そんな音楽と一緒にこれからも生きていたい。」みたいな感じのことをお話しされていたと思うんだけど、全くおんなじ気持ちですと思った。もっと言うとその音楽は君の音楽ですと思った。私のスーパーヒーローはまさしくきみなんだって叫びたかった。良い歌を生み出してくれて歌ってくれてありがとうって泣きながら思った。歌詞が一つずつ良い歌。アユニちゃんが歌うことでもっと説得力と生命力を含んで私の心に届いてる。そうだよねって思った。素晴らしき人生を生きていたいのはみんな一緒なはずだよねって。私もそれを望んで良いはずだったよねって。

耐えることが私の安心だと錯覚して今まで生きてきてしまってたから私の性質上、期待できないことを期待して労力を注いだり望んだりするのはとても恐ろしいことで本当に体力がいること(かえって深い傷を作ることと紙一重だからほんと怖い)だけど私が私の幸せのために動かなかったら誰が私の幸せのために動いてくれるのって。こんなに毎日悲しいのにまだこうやって好きな人に会うために時間を割けてこんなに楽しくなれるんだからまだ大丈夫かもしれないって思って涙が止まらなかった。なんて感謝したらいいの。ほんとにほんとにありがとうな存在だよ。甘い気持ちになった。頑張らなくちゃ。

 

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思い出のカラオケの写真見つけた4年前?

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