あのね、本当にオーラが見えたんだよ

22日から1週間メンタルヘルスのためにSNS断ちをしてたんだけどどうだろう、率直に言うと良くなったとはちょっと思えないんだけど。

晴れて本日、28日で1週間になる。のでこの1週間のことをちょっと日記にしたりしてなかったりしてたから載せてみようと思う。コピペ。

 

5月20日 最近の私は鬱が重く病的だと思うことが増えてきた

5月21日 やっぱりだめになる一時的に起き上がってもそれを少しも維持していられない、すぐ精神が崩壊する、自分は生きていない方がいいと思う、弱くて脆すぎる状態の自分のことを醜く思う、お母さんのことがあってからずっと以前より調子が良くない、どうにかやろうと思っていても努めても心はなかなかついてこない、メンタルヘルスのために1週間Twitterを触らないでみる、アプリを削除した

5月23日 眠りが浅くここのところ夜中に何回も起きる、朝仕事に行くのが辛い、でも会社は少なからず私を必要としてくれてる、幻覚と幻聴が治らない呼吸が浅い

5月24日 精神科の予約の電話をしたら8月になると言われた、左腕全体がもう3日も痛む背中も痛い痺れも重くなってきて麻痺するようになってきた、効かない薬、楽しいことがなにもない、うだつが上がらない、暗い部屋に篭って映画を観るばかり、なんでなの

5月25日 変な夢を見た、私の記憶や意識を操作した悪者がいてそいつに壊れたままの体で「本当の私を取り戻したい」って追いかけてた 生きたいところへはどこにも行けないよどこに居ても苦しいから 波打ち際に裸足で立った時の自分が動いてるように思う感覚、海が遠のくあの感じ 息ができないわけでもないし何もできないわけじゃないし誰から見ても辛そうに見えるわけじゃないし、それならみんなに私は壊れそうだよって知らせなくちゃ、でもほらね家を出ると引っ込む黙り込む 今日は散歩に行ってみようかな外でなくちゃ、給料日だ銀行行かなくちゃ払うもの払わなくちゃ振り込まなくちゃ、朝8時明日仕事、なんのために全部、私まだ魔法にかかれるの待って待って待って 9:40家を出ようと思ったら携帯無くして探し回る10:05携帯あった家を出るベンサン下ろす天気いい銀行行くまでの道で歩きながら全部終わったらいつか2人で散歩したいね生きてるうちには無理かもしれないけどと思う10:12ATMの行列に並ぶ10:50弟とお母さんが来た時に行ったパン屋へ行こうと歩く水車があるパン屋歩きながら写真をここで撮ろうかなと何度か思うけど一枚も撮らなかった腕が痛いし撮るとこんなものなのかって思う時ある目で見たままにカメラには映らないよね12:30部屋の掃除エアコンフィルターの掃除終わってもうお風呂はいった柴田聡子のアルバムが届いた柴田聡子の四万十周遊記を観ながらパンを食べる

5月26日 ずっと不快な夢ばかり見る体がビクッとして起きることが増えた眠れない、居眠りしててそれを嘲笑される夢を見た必死で唾を吐き出そうとする夢もみた実際に吐き出しちゃったと思ったんだけど吐き出してなかったみたい7:25発のバス左手が痛む11:00仕事を早退して帰ってきた会社にやっと病気のことを話せたけどどうすればいいのかわからないままだ14:18考えて考えて希死念慮、生むのはいつもこれ、これだけ、あとはわかんないまんまずっと 21:12具合が悪い今すぐ全部放棄したくなるけどそんなことはまず無理で終わりにするなら全部一つ一つ相応の対処をしなくちゃいけないよな、考えるだけで泡吹きそうだよ この部屋で起こってることを知らしめたいわけじゃない、ただ辛いことを辛いと人に言ってみたいだけだ、いつからか言えなくなった 今見ている世界が今の僕の全部なのだというならば、壊れた心と不自由な体と分裂寸前の家族だ グズグズで中途半端でほとほと効率が悪くて全てにおいて人より時間がかかる私は人生においても時間の浪費をしていると思う、浪費だと気づくまでの時間、それを気づいてからもなお費やす時間、最近は先のことを考えることが本当にできない、それだけで頭を抱えるくらい辛くなる 世の中は進んでいくのに私だけが同じ日々の繰り返しで進んでいないように思う 世の中にこれしかない!みたいなことはないらしいそもそも答えなんかないらしいあっち行ったりこっち行ったりしてるうちにおしまいになるだけなんだってだから好きにやったほうがいいって、その「好きにやる」って超難問だが。嫌な方を選ばなければ自ずと見えてきそうだけどそんな簡単なことでもない 明日も仕事だ明日は早退しないでいたいけど本当は早退したい、いつだって矛盾した気持ちを持ち合わせている

5月27日 夢にうなされた9:12仕事を早退して打ち付ける雨の中歩いて帰る本当に私は何をしているんだろうと思う 靴の中がびしょびしょだけどそんなことはなんてことない帰り際に「また帰るの」と上司に言われたこと、「できることがあったらなんでも言って」とLINEを教えてくれた人にLINEを全く送れずにいること、手術を真剣に考えていること 21:40最近毎日映画を観ているけどエンドロールになるといつも同じことを考える、私の人生が映画になったとしたらエンドロールに流れるのはあの人の歌だと、あの人の歌がいいと。本の読み過ぎなんかじゃなくて、私があなたと過ごした時間は私にとって全部映画なんだよって言いたいと。いつも思う。私の人生なのか信じられないくらい映画みたいだったんだ。あのね、本当にオーラが見えたんだよ。

 

さっきTwitterInstagramをインストールし直した。ちょっとフライングなんだけど厳密に言うと21日の19時くらいにアプリ消したしあんまりこれ意味無かったし。うーん、でもなんか悪くもなかった。でも私みたいなツイート高頻度芸人が、Twitterに全部書きます芸人が、Twitter根暗コミニュケーション芸人が、1週間も居なくなったらちょっと不吉だよね。1週間居ないくらいじゃ「おすすめのツイートがあります」っていう通知しか来てなかったわ。わかる。よくわかる。居なくなっても大丈夫。そもそも居ないと同じだし。違うって言うなら教えてほしいね。いや、全然、教えてほしいとかも言えない。居ても居なくても同じ今日が来ていた。呆気ないよな、生存って。呆気なくて呆気なくて馬鹿馬鹿しくなるな。この1週間ほんとに私が生きてたと証明するものが会社の出勤履歴くらいしかない。私がこのブログを始めたのはそういう気持ちが積もったからってのもある。私が何も言わなかったらほんとに何も残らないんだと思ったから。私はちゃんとここに生きてましたって、こんな風に思ってましたって、今日も好きな人のことが好きでしたって、今日もあなたに救われましたって書かなくちゃと思ったから。自分がこの世界は美しいと思えた日やただの日常が愛おしいと思えた日のことが無かったことになってしまうのは悲しいし悔しい。死のうと思った日だって過去になれば私はあの日を超えて今を生きているのだと思える。だから書いて残しておこうと思ったのだ。私のことは私しかわからないし私以外の誰も覚えててくれないよ。虚しいものなのでしょうか。寂しい人だと思われてしまうのでしょうか。まあ、それでもいいや。そうだし。そう見えたらそうだし、そう見えてもそうじゃない。でも言いたいこと言っていたいよね。

 

なんか、Twitter5分くらい開いたんですが、もしかしたら、心配してくれたというか、気にかけてくれた人がいるかも。私なんかをね、気にかけてくれる人がまだこの世に居るんですよ。ほんと世界が震撼するよね。こんなのわたし泣いちゃますよ。嘘みたいだもん。あー、泣いちゃう。泣いてる。お陰様で生きております。死にたいですが、わたし手紙に書いたんです。「自分からは死なないよ」って。書いちゃったので死なないんです。すごく非現実的なことを言ってしまうけど「自分からは死なないって言ったじゃん」ってなっちゃうじゃないですか。悲しいじゃないですか。あの人が泣いちゃうじゃないですか。ダメじゃないですかそんなの。それは避けたい。念を押して言いますが今わたしはすごく非現実的なことを言っている。

 

なんかSNS断ちと言ってもLINEはやってたので来るんですよ、オフィシャルの動画が。わたしは詰めが甘いんで観ちゃうじゃないですか。そしたら好きな人が笑ってるんですよね。楽しそうに笑ってるんですよね。ここで言いたいことは「へー、別に私がいなくてもいつもみたいに笑って居られるんだー」じゃなくて。絶対そうじゃないので嫌な書き方をしてしまいましたが。本当にそうじゃなくて。日々は止まってくれないということです。見えないものがこの世には沢山あるということです。私はずっとそれを見逃さない人でいたいんです。そう思えたのはこの画面の中で笑ってる好きな人のおかげなんですね。この方は見えないものをおざなりにしないでくれる方だなと思うんです。初めて会った時から自分でも説明できないような、他の人には感じない何かに今もずっと惹かれているんです。それがあの人の優しさなのか自分に似てると思うところなのか、憧れなのか、愛おしさなのか、いまだにはっきり言えないのですが、私にとっては本当に特別な人なんですね。だけどすごくなんかあの人とあの人の音楽と一緒に居る時だけは自分のままで居られるというか、息がしやすくなるんですね。自分でもびっくりするくらい安心していたり、普段一杯一杯に背負ってる、降ろしたくても降ろせないような荷物を下ろせるんです。あの人がいる場所に行くと。不思議って言葉を良く使ってしまうけど本当に不思議としか言いようがなくて。側から見たらただ泣いてる人にしか私は見えてないと思うけど、あの人にはどう映っているんだろうか。って、厚かましくも私は思ってしまうんですね。私はその目に、涙に、笑顔に色々感じています。ほんとに勝手ですが。それこそ言葉にするのが難しいですがライブに行った日の夜は眠れるまでそういうことを考えますね。私が今日あの人から受け取ったものの正体は何だったんだろうかと、私が感情より先に見つめたあの瞬間は何だったんだろうかと。好きな詩の一節に「感情は名をつけたら俗物になるんよ」って言葉があるんですけどまさにそれだなと思う。だからそういう見えないからこそなものを大切に扱いたいと思うんですね。ずっとそういう気持ちを忘れない人でいたい。私はあの人にそういうものを感じてしまうんです。グズグズな私と違って、逞しくて凛々しくて目まぐるしい毎日にも強かに立ち向かい続けてるあの人とはそりゃ違うことも沢山ある、大人になっていくあの人の背中がとても遠く感じる時も正直あるけど、会うとやっぱり私たち意外と近くに居たねって思えます。だから会いにいくんです。あと1ヶ月、あと1ヶ月です。最低でもあと1ヶ月は生きてなくちゃなと思って朝起きてます。ちゃんとあなたの存在は光になってくれています。見えないところで、誰にも伝わらないところで、ずっとここを照らしてくれていることをどうか忘れないでいて下さい。この1週間あなたのことを考えない日は無かったですよ。ヤクルト1000ってみんな欲しいんだね今。私もずっとスーパーで探してるよ。どこも品切れなんだよね。「足の爪切るのってこの世で1番面倒臭いよね」ってさっき観た映画で言ってた。このブログの「爪を切る」って言うのは安直だけど一応意味はあって、私は爪が伸びてる状態が不快で少し伸びたらすぐ切る習慣があって、だけど日々が苦しくなってくるとそれすら忘れてしまって、自分の爪で怪我したり爪が割れてから「爪切らないと」って気づいて、「何で死にたいのに伸びてるんだよ」って思ったり、「死にたいのは心だけなんだよな」とか思ったり、だけどそれでもそうやって気づいて爪を切れる私ってまだ救いようあるんじゃないかって思った時があって、生活って爪を切るだなって、爪を切れてるうちはまだ大丈夫なのかもって思って爪を切るってブログにしたっていう、つまらない経緯がある。

 

ほら、ご近所さんにもタイル好きそうな人いたの、見せたかったよ、好きだから、タイルじゃなくて、最近タイルに目がない人のことが好きって意味、なんていうかほんとにありがとう…

お元気ですか、あなたは大丈夫ですか、もし心配かけちゃったならごめんだったね…はぁ…会いたいです…好きです心から…………寂しかったです…………毎日辛いです…こちらからは以上です。

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