これは音声入力によって書かれた文章です

 

今は午前4時51分、あまり手が良くない、痛いので今回は音声入力で文章を書いてみたいと思います。ここまで書いてみて結構楽ですね。起きないといけない時間まであと1時間ちょっとあるけど起きてしまった。肩から指先にかけてしびれていて痛みもある。そのせいで起きた。もう結構ブログを更新するのをできていなかったの。←こうやってたまにうまく私の言葉を聞き取ってくれないです。でも思ってたより聞き取ってくれてるので幸いです。引っ越しとかへ引っ越しに伴う手続きとか病気になったりとか家のことがあったりとか少し立て込んでてブログを書けなかった。感じることが多すぎて悩むことが多すぎてhey← heyって言うわけないだろ。多すぎて逆に書けなかった。書きたいと思ってたんだけどね。だから手が痛くても書ける方法を見つけましたへ。意外と間違えないから間違えたところだけ修正して載せます。今日まであったことを思い出したいと思う。何があったっけ。でも腕の事だよなあ。毎日夜に腕のしびれと痛みで起きてしまうことが増えてたまらなくなった引っ越しの手続きがまだ残ってたけど引っ越してきてすぐに整形外科に行くことになった。それで胸郭出口症候群だと診断された。病院の先生はこの病気の患者を見るのが久しぶりだったみたいで診察の時ちょっと興奮してたなぁ。面白かった。家族も心配してる。毎日ほんとどうしようかなぁって思う。引っ越してきたのも仕事の為なのに仕事を続けると手がこうやって死んでくる。今度大きい病院で診てもらうけど今のところ前行った病院の先生はリハビリ治療しかないんだって言ってた。リハビリ治療してもすぐには治らないやつらしい。長期的にかかる病気らしい。突発的に起こることじゃなくて慢性的な病気だから「今までよくあったことなんじゃないですか?ずっと我慢してませんでしたか?」て聞かれたなぁ。首をかしげてしまったけど後になってもしかしたら我慢していたかもって思えてきた。私は知らず知らずのうちに自分も気づかない我慢をしてしまっているのかもしれない。そういうのよくないよな。周りにも迷惑をかけるし何より困るのは自分なのに。自分の事は自分でなんとかしないといけないのに自分のことをなんとかしようって思えないところ。情けない。ずっとそうだわたしって。最近は仕事に明らかに病気の影響が出てきていて仕事をしていてすごく困っている。細かい動きが思うように動けなくて力も以前に比べたら全然力が入らなくなってしまった。そのせいでうまくものが掴めなかったりして商材を床に落としてしまうことが本当によく増えた。仕事だけじゃなくて日常生活にもその影響あってこの間、スーパーで財布を落としてしまって財布の中身全部出た。池の水全部抜いてみたみたいだな。食事をする時も3分くらいで手がしびれてきてお箸を持っていられなくなっちゃう。

 

ここまで書いてまた10日以上過ぎてしまいました。4月になりました。桜の木はすっかり緑の葉が多くなりました。弟は中学生になりました。相変わらず手のほうはじわじわと悪化しています。仕事への支障も結構ごまかせなくなってきました。昨日は会社の“もっと頑張ってください”リストに私の名前が載ってしまっているのを発見してしまいました。ショックだった。一年以上働いていてコレに載る人なんかいない。新人さんの意欲向上のためとかにあるものなんだと思う。研修生の名前の中に私の名前がある。惨めになる。みんなが通る廊下に張り出されているもので、みんなが見れるものだから私の知らないところで私のことを嘲笑されているのではないだろうか。そう思うととにかく人目が、笑い声や話し声が気になってしょうがなくなる。私を呼ぶ声や後ろから誰かに指摘されたような幻聴が聞こえたり、物陰が私を見張る上司に見えたり後ろで誰かに嘲笑されていらような気配を感じたり、最近はそういう精神からくる症状も増えてきた。夜は腕が痛んで何度も起きてしまうし本当にストレスが溜まる一方で吐口がどこにもない。今にも気が狂ってしまいそうだというのに次に病院で診てもらうのは5月の12日。他の病気の可能性も鑑みてMRIを取るらしい。それまでは処方された全く効かない薬を気持ち程度はなにかに効いているのだろうと思い込んで飲んで耐えようと思う。この病気は長期戦だからすぐ治るとかはなくて、というか今の仕事を続けている限りは多分完治は見込まれない。リハビリをして症状の改善に努めたとしても仕事で手を酷使しているのでリハビリの効果が薄れるんじゃないかとか思う。とにかく今はどうすればいいのかわからない。病気に耐えながら生活のために無理をしている状態っていうのが言い表すのには相応しいかもしれない。先のことを考えると気を失いたくなる。この先もうほんとに手が動かなくなって働けなくなったり自分がそう決心したりして、もし仕事を辞めなければいけない状況になったとして私は辞めれるのだろうか。家族をガッカリさせることにならないだろうか。先月のこの引っ越しも職場に近い場所に住んで仕事へのモチベーションを上げるためだった。はたから見たらたかが退職だろと思われるのかもしれないが、今の仕事に就けるまで、今の生活を送れるまでのことが頭の中にフラッシュバックすると「もう私には何も無くなってしまう」と真面目に思えてくる。おかしいのだろうか。たぶんおかしいのだろう。弟の障害がわかったとき家族の前で「今の仕事を辞めてこっちに帰ってきて私もサポートする」と泣きながら訴えたときに普段全く泣かない母が涙を流しながら「それはいい。あなたは向こうでここまで頑張ってきたのだから…このためにそうさせてしまうのは違う。あなたは向こうで頑張って。」と言ってくれた。あの時の母の想いを裏切ることにはならないだろうか。頻繁に電話をくれて、今の職場での活躍を期待してくれている祖母の想いも。この引っ越しのためにわざわざ田舎からトラックで東京まで来てくれて老体に鞭打って私のために引っ越し作業を一手にやってくれた70歳を過ぎた祖父と60手前の父の想い、離れて見守ってくれている妹や弟の想いは、どうなるのだろう。何より私が私に失望してしまいそうで怖い。たくさんの想いの上に成り立っている今なのだと感じるからそれを私の手で壊してしまうことになるのが怖いのだ。職場で数人の人に手を心配されていて胸郭出口症候群だと言ったら1人の人が「私もなったことがある」と言っていた。どのぐらいの症状なのかとかわからないのだけど辛かったと言っていた。その人はもう5年以上働いていてそういうことを聞くと自分の辛抱が足りないだけのように思えてくる。私はただ弱いだけなんだと思えてくる。何もわからなくなってくる。どうしたらいいのだろう。どうして、ただ暮らすだけがこんなにも難しいのだろう。毎晩不安ででみぞおちの辺りが苦しくなる。会社でも何度も呼吸が浅くなってしまう。これも全部結局ただ私が弱いだけなのだろうか。そんな私の不甲斐さなさが自責となって自分の首を絞めている。ブログを更新していない間に思った事はたくさんあるのだけれど結局人間は自分が1番可愛くて自分の傷ばっかり気になってしまうのだな。くだらない。お前よりもっと苦しい人間はごまんといる。自分だけだと思うな。今ある苦しみや悲しみは全てお前な選択からなるものなのだ。責任を持って生きろ。つい、自分への怒りが込み上げてきてしまう。自暴自棄になっているんじゃないよ。みんなそれぞれ大変なんだよ。しっかりしろよ。今にも心が折れそうだ。私の中にある正しさとわずかな光を手繰り寄せていればいい。そうするしかない。それしかできない。救いや愛を信じている。好きな人のことを今日も想った。歌を聴いた。何度も記憶を思い出した。いいことだけ思い出そうとした。生きていればまたあの人の歌が聴けて、目と目を合わせられる。そう思うだけでいろんなことが耐えられるような気がした。あの人のことを考えると泣いてしまう。今日もあなたに救われた。ありがとう。何度も言うけどほんとに私の生活はこの繰り返しだ。ありがとう。あなたと私今日もがんばったよね。これで合ってるのかな。わからないことだらけだ。それでも今日を生き抜いた。それだけは良いことだよね。今の目の前の生活を生き抜いた事それはきっと正しいことだよね。毎日途方もない気持ちになる。涙の海を泳いでいる。あなたと一緒に泳いでいる。溺れないように沈まないように手足をバタバタと動かして必死になって泳いでいる。滑稽かもしれないが醜態かもしれないが生きていればきっと救われる日が来る。祈りです。光です。何もないから静かにを祈るしかないのです。きっと生きていける私たちは。ひとまず今日は絶望を回避できたよ。あなたのおかげだよ。夜にゴミを出したときに外階段から月が見えた。

f:id:daidoku:20220412084043j:image

f:id:daidoku:20220412084131j:imagef:id:daidoku:20220412084542j:image


f:id:daidoku:20220412084539j:image

f:id:daidoku:20220412084731j:image
f:id:daidoku:20220412084728j:image

f:id:daidoku:20220412084807j:image

f:id:daidoku:20220412084046j:image

元気でね。だいすきです。いつもありがとう。