眉間のほくろ

昨日は悲しいことがあった。

そのことについてや気持ちやらを昨日(正確には今日)の午前3時まで4000字も書いたのに朝になったら消えていた。4000字があっけなく消えてしまうとそれなりに減滅する気持ちがあって昨日のような熱量はないが、それでも記しておきたいので書こうと思って書いている。

昨日あったことの話をする前に今日に至るまで私が育った家で起きていたことや両親のことをいくつか簡略的に書き起こしてみようと思う。

私の家は父、母、私、妹がふたり、弟の6人家族で1番下の弟は私が小5の時に産まれて11歳離れている。父は工務店をしていて家の解体から宮大工までなんでもできるような腕のいい大工だと祖母から聞いたことがある。母は仕事を色々やったけど今は介護施設で働いているらしい。母は仕事のことをあまり話したがらないし教えてくれないから職場が変わっても誰も何ヶ月もそのことを知らないみたいなこともよくある事だ。大事なことを言いたがらない、言わなくてもいいことだと思っているからだと思う。そういう価値観のズレを私は母にはよく感じる。父と母の馴れ初めをどちらの口からも聞いたことがない。後に祖母が教えてくれたのだが祖母は若い頃に小さなラーメン屋を営んでいてそこに当時高校を卒業し専門に通っていた母も手伝いに来ていたらしい、そこの常連客だったのが当時35歳?とかの父でそこで出会ってすぐ私が出来たらしい。俗に言うデキ婚ってやつだ。ほんとに生まれてこなきゃよかったって思っちゃうな。ここからは私がある程度物心つくような歳になってその記憶をもとに書くけど父と母はよく喧嘩をするしこの人たちは合わないなと幼心に思っていた。なんで結婚したんだろうって。デキ婚という概念を知らないからほんと不思議だったしだからデキ婚って言葉を知った時多分ウチもこれだと思った。別にデキ婚のアンチではありませんが。父はお酒をよく飲む人で、酔っ払うと手のつけられない人だった。深夜に帰ってきたと思えば2階の窓から放尿し始めて、寝ているフリをしたがあの時は保育園生だった私もなんかがっかりした。平気で飲酒運転をして帰ってくる。お酒が入ると昼間立派な家を建てているかっこいいお父さん像が跡形もなく消えて下品で恥ずかしいお父さんになった。私が小3の頃だったか、酔っ払って母と喧嘩になり煮物の入ったどんぶりで勢いよく母の頭を殴った。母の頭からは血が流れ、止まらなかった。今でもたまにその日のことを鮮明に思い出す。あの時と同じ息遣いになる。多分この日を境に母は父への愛というものを捨てた気がする。というか本当に嫌いになったのではないかと思う。いずれにせよ父と母の関係に大きな亀裂が入った出来事だった。あとはジリジリと崩壊していくだけでもう20年以上それが続いていて今が1番最悪だ。そういえば母が父のことをなんて呼ぶのかも想像がつかない、電話帳の登録でさえ社長(一応工務店の社長だから)だし、2人が会話する時はいつも父が離れたところから「明日の材料代が必要だから何万くれ」とか言って父は立ち去る。それで黙って夜中仏壇のところにお金を母が置いて寝て朝早く父が回収して出ていくみたいなそういうお互いを避けた暮らしをしてる。だからこのふたりには私たち子供が必要だった。私たちはふたりに喧嘩をしてほしくないからふたりを繋ぐ伝言板になったり、橋渡し役に回った。それが自分達を守ることでもあると思っていたからかもしれない。母が機嫌が悪くて父にお金を渡さなかった時は私のバイト代を出して置いた。母は父のご飯を作らないから私が父の食べたいものを作った。5年くらい前に母は不倫をしたし、いくら説得しても寄り添おうとしても全てを話してくれないし、それでも弟の育児がまだまだあるから2人は離婚ができないし、したところでお互いにとってマイナスにしかならないから同じ家に住んでいるって感じがもう10年くらい続いてる気がする。私は父と母の気持ちがずっとよくわからない。母の方は話せば話すほどわからなくなる、真実を言ってくれないのって本当に悲しい。だって娘を悲しませてまで守りたい真実があるということでしょ。その真実を言ってしまうと私を傷つけることになるから言わないでいるのだとしても、私は深く傷ついて真実を知る方がマシだな。私だけが母の方を向いて熱心に話しているようで虚しくなるのだ。それで昨日は母名義で知らないアパートを契約しているということが分かったのだ。水道代かなんかの領収書が玄関に落ちていたのを父が拾ったらしい。妹からすぐ電話があって電話口の奥からは怒鳴り合う父と母の声が聞こえた。頑なにシラをきる母の声に私は涙が溢れた。こうなって1番可哀想なのは妹と弟だ。私の家に連れて帰ってきて匿ってやりたい。5年間ずっと騙していたということか。そうじゃないならわかるように説明してほしい。「私はあなたの娘だから知る権利があるんだよ」「良い悪いとかじゃなく真実とは違うことを私に言ったりはしてほしくないなと思う」LINEをした。母はシラを切り続けたままで少しの謝罪の言葉もなかった。また真相は闇に葬られていつもの有耶無耶な家族を私たちは続けていくのだろうな。おかしいと思う。5年前の不倫の時に母に言われてずっと深く傷ついていることがあって、もうこの頃から私たち上の3人の娘はバイトをしていたりである程度自分の身の回りのことはできるような歳だったから母は弟の分の食事しか作らなくなった。ほぼ作らない時期もあったけどお腹が空いても弟はまだ火も使えないしで作るしかなかったから作っていた。あとはコンビニ弁当とかの日も多かった。まぁ、この頃の母はもう私たち子供に興味がないのだなと感じるくらい何かに夢中になっていたように思う。バイトの送り迎えも平気ですっぽかす、塾の送り迎えも、たとえ雨でもそんなのお構いなしだった。母の携帯は私たちいい歳の高校生の携帯より通知が鳴った。不倫がバレたのだって絶望的なバレ方だった。腹空かせた子供が待ってるのに買い物の帰りがあまりにも遅いから電話したら、母の声なのだけど様子がおかしかった。なかなか出ないからあらかじめスピーカーにしておいた電話口から震えるような母の声が応答した。上の3人はもう高2と高1と中3だったからすぐに状況が把握できた。運良く弟は寝ていて大丈夫だった。その時のこともとても深い傷となってたまにふとした瞬間に思い出して胸が苦しくなって涙が出てくるほど悲しいことだった。母の不倫現場の一部始終を聞いた子供ってかなりレアなのでは?ほんと辛いです。少し脱線してしまったけど不倫のことについて母方の祖母と母と私で話した時に泣きながら私は色々話したのだけどその態度が全てだった。まさに暖簾に腕押しという感じで取り合ってもくれない感じだった。祖母が母に「あんたは子供たちが病気したとか、事故にあったとか、居なくなったとかってなった時、平気でいられるの?今のあんたをみてると子供たちに全く興味がないように見えるよ?」みたいなことを訊いたときに「別に?」って言ったんだよね。その時は本当にショックだった。私の知らない母の人格がもう一つ形成されていたのだとしか思えなかった。実の母に痛いところつかれてイラッとしたからだとしても目の前に自分の子供がいて言えるのはある意味凄いことだと思う。今起きていることは思っていたより何百倍も深刻で残酷な問題だったんだと思った。簡略的に書くとか言って全然違う感じになったけどもう遡ることにも少し疲れたのでこの辺にしようと思う。他にもまだ苦しめられているフラッシュバックがあるけど手が疲れるので書かない。

こんなに辛いことをされてもまだ嫌いになれないのはなんなのでしょう。家族という呪いなのか。たまに母に将来の自分を見てしまうことがあるからなのか。これは全部母の弱さ故のものであってその弱さに強く言うことができないと思っている私がいるからなのか。みんな私の立場だったら普通は怒って怒鳴ったりするのだろうか。私はそれができない。何一つ咎めることもせず、優しくすることしか出来ないのだ。お互いにわかり合おうとする事を未だに諦められないのだ。これが正しい事なのかどうかわからないけど、今の私には母を叱ることができない。

母の眉間には小さいほくろがあって全く同じ位置に私も肌に小さな凹みがある。私の密かなコンプレックス。この小さな肌の凹みを見るたびに私は紛れもなく母の子供なのだと感じる。

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こんなに本当のことをブログに書いていいのか?まぁいいや、誰もみてないし誰も私のこと知らないし。一度、恥ずかしくなるくらい誰かの厚意に思いきり寄りかかってみたい。