言葉になる前の言葉

自分の心を読み取るのにも気持ちの正体を知るのにも時間がかかる私はすぐ自分の言葉にして伝えたり表したりすることが昔からできない。ましてや、その場で感じたことやその瞬間の気持ちをすぐ言葉にして口に出すのなんか苦手を通り越して怖さまである。それ故に私の話す口調はいつも芯がなく、のらりくらりで接続詞と句読点ばっかりで話を最後まで聞けない人続出で、ある人には端的且つできれば結論だけを述べてほしいとよく言われる。

 

昔から話をまとめるのが下手ではあったけど、ここ数年で自分の言葉を発したい欲(必要性)が私の中には発生していて、どちらかと言えば今まではこの世に多く流通している言葉を組み替えて発言したり言葉にしていたりをしていたけど、ある人に出会ってそれは打ち砕かれた。初めて発する言葉を自分の言葉にする必要性や自分の心のままを伝えなければいけない気がした出来事だった。

 

それからというもの私は自分でも驚くくらい“自分の言葉”というものに固執したように思う。というのも、誰かの言葉を借りてきて発言することや何か狭い枠組みの中から言葉を選んでいるように思うことへの違和感が日に日に強くなっていったからだった。ごまんといる同じ言語を話す人の中で例えば「赤色」という言葉でも思い浮かべる色はそれぞれ違っていて、夕焼けを想う人もいれば信号の赤や折り紙の赤を思い浮かべる人もいて、そんな無謀とも思えるようなこの世界で私の言葉の存在など本当にちっぽけで、サハラ砂漠の砂の一粒でしかないと思う。ならばせめて自分の言葉でありたいと思うようになった。どこかの誰かの頭に残らなくても、心に届かなくても、ただ少し引っかかりさえすればいいと思った。なるべく心のままを書いたり発言したりしていたいと思うようになった。感謝を伝えるときでも謝るときでもその時の温度のままを伝えてみたくなった。頻出している語彙は確かに多くの人に伝わりやすいし共有しやすいのかもしれないけど私はそれがちょっぴり虚しく、違和感だった。ひとりひとりに違う心があって性格があってこれまでの経験があって感情の起伏があって正義があって、その中で無数の語彙があって、共通の語句であっても、辞書には載っていない意味やイメージを想起することが当然あるのにどうして、その語句に私は私だけの意味を持っているのにどうして、みんなの辞書で糸も容易く引かれてしまうことが違和感だった。

 

最初はそれこそ掴みどころのない自分の心を読み解いて言葉にすることは難しく、いつもどこかぎこちなく、一文を絞り出すのにもとても時間がかかった。でも読書を取り入れたことでほんとに少しずつ様になってきて、おかげで継続して今もこうして自分の言葉を綴っていられる。

 

ながーい前置きはここまでで、ここ最近、自分の心が特にわからなくなってしまったというか、何から言葉にすればいいのかもわからなくて、心に灰色の靄がかかったかと思えば、それは時に嵐のように身体中を駆け巡って私は窓から椅子を投げたくなる。その靄は常に少しどこか動いていて、次にくる嵐に私は怯えている。その靄を抱えたまま生活をするということに疲れてしまった。人生は疲れるものだけど、疲れてしまった。そして今日も疲れてしまった。うまく言葉にできる自信がないので、言葉になる前の歪な言葉として残せればいいと思って、ながーい前置きを書いた。

 

 

母方の祖母は私のことを思って母以上にいろんなことをしてくれる人で、そのことや祖母の気持ちを私はとてもありがたいものだと思っているし、毎日ほんとに感謝している。もちろん口に出して感謝も伝えている。自分の娘(母)が引き起こしたことであるし問題は自分の娘にあるからと、その罪滅ぼしだとか責任を取らなくちゃいけないとかそういうのじゃなくて、祖母からは「純粋に可愛い孫に可哀想な思いを少しでもさせたくないから」とかそういう温かい思いやりで構成された気持ちをいつも感じる。泣いている時に気にして電話をくれたのもありがたかったし、週に何回か家に来て話を聞いてくれたのもありがたかった。

 

祖母は昔から苦労した人で、その分芯が強くて自分の意見をしっかり持っていて、物怖じしないではっきりものを言う人で、私と似ているようで似ていない部分も多くある。そんな祖母にとって私のはっきりしていない、おぼつかない話し方は我慢できないようで、話が一定の熱量を超えると、よく私の話を遮るように怒涛の勢いで喋り倒すのだった。

 

私の話し方に問題があるのはほんとにそうだけど、話を半分だけ聞いて私の心をわかったように語られるのが少し苦しくもあった。私でさえまだ曖昧な気持ちをまるでそうであるかのように語られるとまだ枝分かれしそうな気持ちも間違っているようにまで思えた。70年生きていて得た知識や経験を踏まえて語っているのだからそりゃ同世代の言葉よりは重く説得力があるし、祖母の話をきくは別に苦ではなかったしむしろタメになっていた。だけど私のその曖昧さを認めて許してほしいという気持ちがあった。同じ人間など1人もいないのだから全てをまるっきり理解できることなどないと思う。それを私はいつだって心に留めていて「理解できないということを理解する」ということはお互いにとって大切なことだと思っている。だけど祖母は大体の人間の心は同じつくりをしていると思っているようで、私の理解できない部分は強く理解できないと言った。それが私には理解することの放棄に思えて悲しかった。でもそんな風に思ってしまう自分も嫌だった。こんなに私のことを想ってくれている人にそんなことを思ってしまう自分が醜いと思うのも事実だった。大きな好意の中にある少しの苦味に文句を垂れる私が情けなかった。だからその度に押し黙った。今日まで一言もそのことに関しては触れずにいた。

 

とにかく泣きながら喋ったり喚いたりしたので事の発端は自分でもはっきりよく覚えてないけど、祖母の話の途中で涙がなぜか止まらなくなってしまった事が始まりの記憶としてある。久々にこんなに大きい声を出して人に意見を言ったので言った後で少し喉がヒリヒリしたのも覚えている。というか事の発端と言うほど何かきっかけがあったのではなくて、多分あの時私が泣き出していなければ、すぐに涙を止める事ができていれば、起きなかったのだろうと12時間経った今になって思う。

 

あの時私は冷静さをまるで失っていた。視界がだんだんとぼやけてきて溢れる涙を頬で感じた。溢れた後に一瞬視界は澄んでまたすぐぼやけた。祖母との喧嘩とも口論とも話し合いとも違うような、私から言わせてみれば、あれは爆発に近かった。

 

 

「もういい…もういい…もう疲れた…」

 

祖母の話を聞きながら泣き出してしまった私は、そう意識より先に口が動いていて、一瞬「しまった」と思った。

すかさず祖母が「何に疲れたのよ」と訊いてきて

私はついうっかり母も居る前で「もう嫌になった、、なんかもう疲れた、もう生きていくのに疲れた、、、」と漏らしてしまっていた。

 

ここまでの記憶は割としっかりあるのだが、ここから先の記憶はだいぶ曖昧ではっきりとは覚えていない。そのくらい、なすすべないままの爆発だった。(実際に怒鳴ったとか暴力を振るったとかのではなくて)私の心の靄が嵐に変わった瞬間だったと思う。

 

祖母の怒涛の語りはなんとか平穏を保とうとしている私の心を時にかき乱すことがあること。私はあなた(祖母)のように強くないこと。あなたを傷つけたくないこと。私の抱える気持ちが曖昧な故にあなたの話す言葉で時に今私が抱えている気持ちが間違ったものに思えてしまうこと。分かり合いたいと思っていること。

もっと細かく書くこともできそうだけど、大体こんなようなことを終始泣きながら話して伝えたと思う。

 

その中で祖母が理解できないと言った私の部分も理解できないなら無理に理解してほしいわけじゃないってことも伝えられたと思うし、でもそれを否定するのは悲しいし突き放された気持ちになると言うことを伝えた。

 

祖母は繰り返し「私の性格では到底理解できない」とか「大体人間は普通こう思うでしょ」とか「なんでそんな風に思うのよ」とかを言っていて、頭が硬いとか許容が足りないとかじゃなくて簡単にそう言われてしまう事が私は悲しかった。あなた(祖母)目の前にいる私はその普通の人間の考えができないから悲しかった。

 

 

「じゃあ私は人間じゃないの!!!?その考えがまともに私は出来ないんだよ!!おばあちゃんが考える人間の心と私の心は違うの!!そしたら私は人間じゃないの!!!?!どうしたらいいの!?!いつも否定されたように聞こえてほんとは苦しかったよ!!でもそんなことを思っちゃう私も嫌だったよ!こんなに私のことを考えてくれている人に!言えなかったよ!!だからずっと押し黙ってたんだよ!!」

 

 

もっといろいろ話した気がするけどまとめるとこんなことを言ったのかもしれない。怒鳴ったんじゃなくてあれは私の心の叫びに近かった。言っている最中も私はどうすればいいのかわからなかった。ただただ、わからなかった。

 

祖母は私の一連の主張を聞いて「私と話して嫌な気持ちになるならもう話すのやめればいいじゃない!!」とこれまでと今後のことを踏まえながら話し始めた。「じゃあ私はこれから一切この家に関わらない!!」とか極端なことを言い出して「だから言いたくなかった…」と強烈な後悔が襲った。私にとって90%有難い人なのにたった10%の苦しみを私が打ち明けてしまったことによってその全てを失うことが私はとてつもなく嫌だった。一生後悔するだろうと思っていた。だからその10%をずっと言わなかった。本当は言うつもりもなかった。とにかく失うのが怖かった。

 

前回のブログにも少し書いたけど、私の人生は言わなきゃ良かったことばっかりだと思った。だから押し黙って生きることが安心だった。もう全部私が悪い気がしてきた。事実、普段静かなのに突然大きい声出したりして困らせたから謝りたくてちゃんと謝った。謝ったら「悪いと思ってないなら謝らなくて良い」って言ってたけど悪いことをしたと素直に思っていたからまたもう一回謝って、どちらの謝罪もふんわり断られた。この時点で泣き出してから1時間半経っていた。

 

 

同じ部屋にいた母はほとんど黙ったままだった。

こんな日にこんな気持ちになりたくなかった。

好きな人の誕生日の前日にこんなブログを書きたくなかった。

自由にすればいいというけど、私にとってはそう簡単なことじゃないです。

自由とは、なんでも好き勝手にできるとか、どんな自分にでもなれるとかじゃないと思う。自由ってそんなに気楽で良いものじゃないなって思う。

生まれ持った性質に方向づけられ、生きる社会の構造に縛られ、それでもなんとかより良く生きようとすることが自由だと私は思っているから。

そういう意味で私は自由になりたい。

 

 

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