ケンチャナヨ〜

今週もいろんなことがあった。

いろんな物事や感情が交錯していて、自分の心と対峙する時間がないことへの焦りや不安が募る。

それを言い訳や好都合にしてしまいそうな自分がいるもの事実で、ある日突然誰かに問いただされたり咎められたりしても仕方がないなとも思う。

ならばそれを改めなければならない。だけど勇気が出ないのだ。グズグズしている。わからないと言って口をつぐんでしまう。怖さに勝てない。私のずるさである。

 

人間の選択のほとんどは環境によって決められているなとこの頃はつくづく思う。

 

 

月曜日は母と一緒に弟の授業参観に行った。

卒業してからも妹の体育祭や催しを観に行くために行ったこともあったけど、ほぼ卒業以来なくらい久々に母校に行った。

校門をくぐると掃除中の生徒達が3階の窓から外の様子を見ていた。3年生だ。窓の位置だけで窓の奥の光景がすぐ思い浮かんだ。意外と覚えているものなんだなと思った。懐かしさと中学生の頃の自分の青い記憶がかえって苦く感じた。そこらじゅうに思い出があった。

 

 

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弟はいくつかの決まった教科の時間、みんなと階が違う教室で授業を受ける。

授業の前に弟の教室を覗いてみた。こちらを気にした様子だったが、友達と輪になって話していた。家ではよく友達の話もするし、家に遊びに来る友達もいるしさほど心配はしていなかったけど、実際にその姿を見て少し安心した。

小学6年の時に発覚した学習障害。これからますます難しい年頃になっていく中で友達との違いをうまく受け入れられなくなってしまったり学習障害と付き合っていくことがいろんな要因によって困難だと感じてしまうことがあるかも知れない。その時に支えてあげて話を聞いてあげられるような存在でありたいと常々思っている。思っているだけではダメなのだけど。弟に対しては想いをなるべくすぐ伝えるようにしている。私が素直でいることで弟と私の間に“発言のしにくさ”みたいなのを発生させないようにしている。「この人の前では自然体でいて良いんだ」みたいに少しでも思ってくれていたら嬉しい。

 

 

この日の授業参観は数学の授業だった。弟は数学の時間は特別支援学級へ向かう。弟の教室の前で出てくるのを待っていたのだが、授業の5分前になっても出てこなかったので再度教室を覗くとみんな着席していて、真ん中の席一つだけが空席だった。すぐ弟の席だと気付いた。どうやら私と母が廊下の掲示物を見ている隙に教室を出たらしかった。母と私は一つ下の階へ降りた先の教室へ向かった。特別支援学級のドアの前に着いて弟が教室の中にいるか確認しようとしたが他の学級のドアと違ってドアのガラスの部分は全て紙で目隠しがされてあって教室の中が見えなかった。少し空いたドアの隙間から弟が見えた。「あっ、居るよ」と母が教えてくれた。チャイムが鳴り、ドアをノックして教室に入った。

そこには弟1人と女の先生が居た。小学校4校が集まった中学校で、それほど小さい学校ではないのだが、弟の学年で特別支援学級に行っているのは弟だけだ。小学校の頃に一緒に学んでいた数人はみんな特別支援学校に行ったらしい。教室には机と椅子がそれぞれ8個あった。全学年合わせてもこの学級に通っているのは8人なのだと知った。

弟の号令で授業が始まった。先生に見えないところでずっとどこかしらでリズムを刻んだりしていたけど意外と真面目に取り組んでいた。先生曰く弟の集中力は50分持たないことがほとんどで、最後の10分は好きなことをさせているという。でも「授業中に書いた」と言って毎日見せてくる腕の落書きは彼にとっていかに授業が退屈なものなのかを象徴していたから母も私もやっぱりなという感じだった。先生が時々「〇〇くん、これ覚えておいてね?」という度に「弟にはその“覚える”という行為がとても難しいのですが…」と思っていた。弟は好きなことや関心があることに対してのワーキングメモリーは人並みに持っているけどそれ以外の事柄へのワーキングメモリーはかなり欠如している。小さい頃から車やバイクが大好きでそれらに関する知識は大人よりあると思う。見かけただけですぐ車種を答えれたりする。やっと九九を覚えたけど多分それも勉強の場がなかったらあっという間に忘れてしまうのだろう。弟にしかわからないことたち。私にしかわからないこと。母にしかわからないこと。人は1人として同じ人間はいないからこそ許容や分かり合えなさとどう向き合っていくかが大切だと思う。理解しきれなくてもそれはとても自然なことだ。その上でそれでもその人らしさや存在を否定しないこと、見えている部分がその人の全てだと思わないことが相手にとっても自分にとっても重要なことだと思う。ただ率直にありがとうやごめんなさいの気持ちを抱いた時にプライドや関係性など関係なく、スッと口に出来る素直さが私は素敵だと思う。たまにそれがウザいとか言われてしまったりするけど、そう感じた時に伝えるのが私は1番良いと思っているから挫けないで伝えてる。だって感謝を伝えてウザいって言われて、でも感謝を伝えたこと自体が悪いことだとは思えないんだもん。

机に向かう弟の姿を見て積もる想いの正体がはっきりした感覚を覚えた。でもまだ言葉にするのには時間がかかるかもしれない。

 

 

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弟の祈りも虚しく、14日、父がコロナウイルスに感染した。

昼ごろ父からLINEで「コロナにかかっちゃったみたい」というメッセージと共に線が2本入った簡易検査キットの写真が送られてきた。

それから病院でちゃんとした検査を受けて正式に陽性となった。私たちもすぐ検査をして父以外は全員陰性だった。

昨日と今日で然るべき機関への連絡等を済ませて濃厚接触者にあたる私たち家族は21日まで会社や学校を休むことになった。弟はそのまま夏休み突入。新しくしたメガネ似合ってるのにみんなに見せられないね。

父は心疾患を抱えているのでとても心配でいる。幸い、今はそこまで重症ではなくて食欲もあっていつもの父だ。感染経路は不明としたけど実際周りに陽性者が数人居たようだった。従業員の家族とか仕事仲間とかに。父は機械に弱いため私が問診をしたりしていろんなデータを県や保健所に送った。こんな時でも母は父が嫌なようで、私から言わせてみれば母が心配しているのは父ではなく自分や私たちへの感染を心配しているという感じだ。

父は隔離のため部屋から出てこれないからご飯を私たちが出してあげなくちゃいけないのに出さないし「こんなに食欲あるなら仮病なんじゃない?」とか冗談でも言わないほうがいいと思う。母のユーモアなのかも知れないけど、私は父をとても心配しているのでそれには笑えなかった。

父は何事にも大雑把でコロナ蔓延が長期化してくると感染対策が甘くなっていた節やウイルスへの考えや認識が私たちの考えと差があり、外出しちゃダメなのに人に会わなきゃいいとか思ってて外出しようとしたりして、今も家の中でも注意されることがしょっちゅうで、今日も母が怒鳴っていた。母の父への態度は理解し合うということを完全に諦めているんだろうなと感じる。母の気持ちも分からなくもないけどもう少し許容できるところはないのだろうか。ずっと喧嘩腰なのは母だって疲れるだろうと思う。

この家にいると私が優しいことをしているように錯覚する。いたって普通のことなのに。時々母の態度に「なんでそこまでするの?」という圧を感じる。だけどそのほとんどが私にとっては当たり前の思いやりで、美味しいご飯を食べてほしいからとか具合が悪いのに無理をさせたくないとか理由を述べるほどでもないことばかりだ。だけど母にとってはそのいくつかは“必要はないこと”に感じるということなのだろう。私が父を憐んでいるみたいな母を否定しているみたいな空気になる時があるけどなるべくありのままの心に従っているような自然な感じを心がけている。お母さんがお父さんのご飯を作ってあげないから作ってあげているんだよ!みたいな感じはなるべく出したくない。ただ純粋に父を気遣う気持ちの表れです、みたいな。それでいて母にも嫌悪感を与えてしまわないような悪気のなさを出していきたい。

美味しいご飯作ってあげようよ。早く元気にさせてあげようよ。変だと思ったことは私は言うよ。私は怒るすぐに忘れちゃいけない、すぐにすぐにすぐに怒る愛していたいと。って感じ。

 

 

 

綺麗な心だと思ってほしくない。その時在る心に嘘をつくことが出来るほど私は器用な人間じゃないしそこまで器用になりたいとも思ってない。

 

 

甘んずることなく幸せに貪欲であり続けたい、心の保全のためにも自分自身に素直でいれたら、妥協してもしっかりジワジワ辛くなるだけだってようやく分かってきた、だいぶ時間がかかってしまった、もう自分の心や時間を簡単に差し出したり自分から犠牲になりにいかない。難しいかも知れないけど一歩ずつ。弱くて強い、脆さ故の丈夫さがきっとあるはずだ。

 

 

 

好きな人も家族もみんな健康でいてほしい。トマトの味噌汁を作る。松岡茉優さんの連ドラ。松岡呼び。連ドラをリアタイで観るって何年振り?って感じだった。好きな人〜、げんきかな。今日美味しく肉じゃが作れたからあげるね〜、美味しく作れたらなんでもあげるね〜、あげられないね〜、あげたいのにあげられないね〜、うん〜、おからだ心配だ〜、お気をつけてね〜、Twitter全然触れていないけど私が携帯いじってる時にツイートしてくれること多くてすごいね〜、全然気づかないこともあったりするけどね〜、リプライ〜、いつだってリプライ〜、したいといったらリプライ〜、リプライといったらしたい〜、変わらぬ愛〜、愛はそこに在るんか〜、ある〜、在るけど見えないでお馴染みの愛〜、今日も同じ空の下で生きているのだと思うと心で繋がれているような気がしてあなたの存在は私のお守りなのだと思いました。今日も生きていてくれてありがとう、また会える日までどうかお元気で。だいすきです。。。わたしもがんばります。

 

 

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