24回目

11月26日で私は24歳になった。

 

特に特別なことをして過ごすこともなく、1日を終えた。

珍しく母が買い物に出向き、私が食べたいと言ったラザニアの材料などにお金を出してくれた。

 

これは私の憶測だが、母は父に秘密がバレてからすっかり信用されなくなり、父が母に頼んでいたことや嫌々母がやっていた父関連の家事や妻の仕事は私が実家に越してきてからは全部私に降りてきた。その中の一つにお金の管理というものがあって今までは父が稼いだお金が入る口座から母が必要なだけ下ろして生活費などに当てていたらしいが母はそのお金を誰だかわからないような男のために使っていた。母の名前で契約された聞き覚えのないアパートの水道代の領収書を父が玄関で拾った時から父は母から通帳からカードから全てを取り上げて自分で管理をするようになった。だが、父は金使いが荒く日銭が多くさらに数字にも機械にも弱く、ATMがやっと使えるような人で、多分自分でもそれを少しは理解していたはずで母に任せていたのだろうけど、自分で稼いだ金が知らない男に流れていると思うと誰だってそうするかもしれない。生活費や諸々の支払いは私が何日か前に父に報告してお金をもらって払っている。そのことで祖母からこうした方がいいとかああした方がいいとか毎日のようにお達しがある。父に口座を取り上げられて以来、安月給の母は目に見えるようにお金を使わなくなった。私や妹が買い物に出掛けていると高確率で連絡が来て「ついでにアレを買ってきて」とついでに“買って来て”を乱用するようになった。高くもないけど安くもない、でも日が経つにつれ明らかに嵩む金額。携帯プランとか電気プランとかのよく機能がわからないようなオプションが付いてて意外と金額くってたみたいな、あのなんか損してる気持ちになるやつだ。母宛のカード会社からのハガキが毎週のように来ていたり、確かに少し前まではカードを使っていたはずなのに父の会社の車の保険の引き落とし先にするために母のカードを貸してもらおうとした際に「もうカードは持ってない」と言っていたことも、また私の知らない新たな氷山の一角だとして認識した出来事だった。とにかく使える金が少ないのだろなということが母を見ていると伝わってくる。

 

その母が夕飯の買い物で5千円以上払った。

たぶん一応、母にとっても私は腐っても娘であって、誕生日は忘れないんだなと思った。

忘れててもあまりびっくりはしないけど、一応、覚えていて祝う気があるんだなと思った。

買い物を終えて家に帰ると私は自分でリクエストしたラザニアを作り始めた。恐らく私が何もせずポーッとしていてもラザニアは食卓に並べられていたとは思うが、そこまでやってもらうことが少し抵抗があってその日も夕飯は私が作った。あと、今思うと「こんなことで信用を少し取り戻したとか間違っても思わないでよね」という気持ちがあったと思う。

妹はケーキを買って来てくれて花束もくれた。

ホールケーキの上の蝋燭を歌の最後に息で消して、クラッカーがなって、カラフルな紙が降ってきて、ホール

ケーキを切り分けて母と妹と弟と私で食べた。そして起きたら花の水を取り替える朝になった。

 

こんな毎日の繰り返しがこれからも続くんだとしたら私はとても寂しいことだと思う。

 

湯船に浸かっているときに、天井からポツポツと落ちてくる雫が腕に連続して落ちたとき、それが何かを問われている声に聴こえたことや

家の隣の竹林が伐採されすっかり更地になってしまった景色に物悲しさを感じながらも私の頭の中の地図のその場所は更地に更新されていて、ただぼんやりと窓の外を眺めるしかなかったこと

私の声は弱いこと

裏切られ続けられること

届かないこと

叶わないこと

出来ること

変わらないこと

変えられること

嘘をつかないこと

嘘じゃなかったこと

24歳になったこと