泣かなかったこと 泣いたこと

父が豆腐と麻婆豆腐の素を買ってきて夕飯に作ってくれと頼まれて、パッケージの裏の説明を見ながら作った。父は味にうるさくて少しでもイメージと違ったり味に違和感を感じると躊躇なくダメ出しをしてくる。なので小さい頃から父の夕飯を作る時は上手に作らないといけないという意識があった。うちの家は各々が好きなものを食べることが多い。最初からこうだったわけじゃない。だんだんとそうなっていった。わけを説明したいけどうまく説明文を書ける自信がないのでしない。父は食べたければ自分で全て材料を買ってきて私に渡してくるので私が作って父の部屋まで運ぶ。妹は仕事から帰ってきて「今日のご飯なにー?」って言ってきて私が作ったご飯を食べてくれる。外食してくる時も連絡をくれる。基本的に母は家事をなるべくならしたくないマインドなので子供が学校や仕事から帰ってくる時間だろうがご飯は作らないことが多い。「お腹すいた」とか「なんか作って〜」ってしつこく言われればしゃーなしで作り始める。私の母はもう家事を半分降りてるみたいな節がある。うちの家は夕飯の買い物にほとんど行かない。なぜそうなるのかを書こうとして途中まで解説を書いたんだけど馬鹿馬鹿しく思えてしまって涙が出てきたから全部消した。弟はそんな母にもう慣れているから食べたいものはだいたい自分で作れるようになった。実家に帰省するって言うとよく「実家は勝手にご飯が出てくるし楽だもんね」みたいなことを言われる。意味はわかるから下手くそな愛想笑いで返すけど心の中では「そんなことはないです」と思っている。例えば体を壊して仕事を辞めて帰ってきても「おかえり」とも言われないし「食べたいなら自分で買ってきて作って食べろ」ということだった。別に労ってほしいわけじゃないけど私は寂しさと悲しみを覚えた。それを見ていて祖母は毎日のように子供たちがご飯に困らないようにお弁当やらお菓子やら果物を仕事帰りに買って届けてくれる。それを母は何も言わず見ている。感謝の言葉もなければ祖母に自分から話しかけることは無い。祖母の買ってくれた肉を焼いて今晩のおかずと称して食卓に出す母の気持ちはどんなだろう。「まーくん、まーくんの好きな鶏肉焼いたよ!!」ってどんな気持ちで言っているのだろう。とにかく母のいかに家事から逃れるかという点への徹底は本当に嫌なんだなと生活の折々で感じる。実の親子である祖母と母は数年前の母の不倫があってから明らかに悪くなっていった。祖母からは毎日のように母のこの頃の態度や行いについての愚痴の電話がかかってくる。私に対しての態度や母親としてなってないとかまーくんが可哀想だとかとにかく気に障ったこと全てを私に電話で報告してくる。内容のほとんどが私達子供のことを想ってからの発言や考えなのだろうなと思うし私もためを思って言ってくれてるって分かっているんだけど正直うんざりしてしまう自分もいる。自分の中でもう母がそういう人になってしまったということは割り切るしかなく思えていて、そう割り切ることで良くなることもある気がしたから割り切ってもう母の今は変えることができないとも思う。毎日のように電話口で「なんであの人はああなんだ」なんで何回言ってもわからないんだ」ってすごい剣幕で言われるとなんだかこっちまで萎縮する。「もうお母さんのあれは治らないんだよ」とか「お母さんのプライドが邪魔してああいう発言になったんだと思う」とか言うと「なんであんたが庇うんだ」って怒られたりもした。庇ってないのに。電話を切った後に大きなため息が出てしまった。そんな自分にも嫌気がさした。

 

父に作った麻婆豆腐が「まずい」と言われ皿ごと流しに捨てられた。「何考えてるんだ!こんなもの出すな!今すぐ作り直せ!適当やるな!お前仕事でもそうだったんだろ!何でもかんでも適当で仕事できなかったんだろ!早く作り直して持ってこい!」喉の奥がじわじわと苦しくなった。けど泣かなかった。「はい。わかった。ごめんなさい。」さっきより丁寧に作り直してまた父の部屋に持って行ってまたキッチンへ戻って流しに散乱した麻婆豆腐を片付けた。家族に言われると余計苦しくなる気持ちがある。視界はぼやけたけど涙は溢さなかった。明らかに沈んだ心はあった。意識がその場にありながらも閉ざされて行く感覚があった。耳の奥の方で弟が観ているYouTubeの音が聞こえて意識がまた現実に戻ってきた。私はいつものお姉ちゃんに戻らないとと思って、付いているテレビでやってたクイズ番組の問題にあからさまに大声で答えた。そのあからさま具合が私の不器用さを露呈しているように感じた。

 

19の時に上京して23の今。実家に帰ってきた。約5年間が一昨日終わった。最後の夜にいろんな気持ちになったりもした。引っ越してきて最初の夜にもいろんなことを思った。けどどれも言葉にする前に涙が止まらなくなった。言葉にするのが怖い、単純に言葉にできないとも思った。いろんな事柄が複雑に絡まってたった一言を絞り出すことも出来なかった。ただ涙だけが流れて、この涙でしか表せないなと思った。こうしている今もそうで、毎日いろんなことが外では起きてて時間は同じだけ流れてそれを見たり知ったり感じたりする。今日も私と同じ時間人々が生きてて同じ夜が来て朝を迎えるのに、同じに思えない。

全てにおいて、私は含まれていないなと思う。

 

好きなバンドが着々と活動再開に向けて動いているのが嬉しいのに涙が出る。再始動の時に居合わせることが出来るのだろうか。強くありたいけど今の私にはそこに居る私を想像できないから涙が出るのだ。それを希望として縋るようにして情け無く生きているのにそれにすら追いつかないのではないかと不安になる。本当に自信がない。好きだから異様に不安になるし痛いし苦しいのだろう。泣くだけで言葉にならず、声にしなければ誰にも届かず、私の心だけに刻まれて確実に積もっていって、それらを声にできた時は多分きっと遅くて余計共有しにくいものになってしまうんじゃないかと思う。けど涙でしか応えられない。無数のフリック入力と消去された言葉群。ファンの言葉がファンの言葉の形をしているのにゾッとしたりする。ドラマとかで演出されるファンのコメントみたいなのすごいなって思う。悪く捉えてるとかじゃないけど私には絶対できないなって思うからかもしれない。ずっと思っていることなんだけど、どうせ発言するなら私は私にしか言えないこと言いたいなって思う。せっかく発言したなら埋もれたくない。みんなでおんなじこと褒めたり言ったりするのがダメだって言うわけじゃないけどせっかくこんなにたくさんの目があるならその分だけたくさん良いところとか頑張ってること褒めてあげたいし無数の言葉や形で感謝したい。私は今ある私だけの悲しみや寂しさを思い知ったり心を理解したりしてその上であの人に感謝を伝え続けられたら少しは伝わる言葉を話せるのかなと思う。いつだって救いたいし助けになりたい。傲慢かもしれないけどずっとそう思ってしまっている。

 

心の中がそのまま雑にぎこちなく言葉になって普段より一層まとまりのない文章になってしまった。けど今はとにかく心の中がめちゃくちゃで片付かない部屋と踏み場のないくらい詰め込んだ家具と段ボールがそれを象徴している。

 

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