ひかりの話

「ひかり」という言葉を辞書で引いてみるとたくさんの意味が出てきた。目に明るさを感じさせるもの。太陽・星・電球などの発光体から出る光線。 心に希望や光明などを起こさせる物事。威力・勢力のある者の、盛んな徳や勢い。威光。目の輝き。視力。色・つやなどの輝くほどの美しさ。容貌・容姿のまばゆいばかりの美しさ。はえあること。見ばえのすること。などなど。

私は今まで人生の中であまり「ひかり」について考えたことがなかった。というか考えようともしていなかったと言った方がしっくりくる。「ひかり」という言葉、存在がそれくらい自分の生活や人生とはかけ離れていると無意識に思っていたからだと思う。今でもそれはあまり変わってはいないのだけれど前よりは「ひかり」のことを考える人間になった。それは「ひかり」という言葉に対する印象や考えが変わった、もっと言うと自分の中でなにを「ひかり」だと思ったり、言ったりするのかが段々わかってきたからだ。そんな私のひかりの話を書いてみることにした。なんだかそんな朝だったから今日は。書けそうなときに書いとかないとね。

毎朝起きると心が曇っている。もうそれは私の心の元々のシミのように思ってるからしょうがないんだけど。不安や悲しみというのはいつも私の心にもたれかかっていて隙あらば心の中に入ってきて、ぐちゃぐちゃに掻き乱し始める。なのに私はそいつらが中で暴れているのに心に蓋をしてそいつらを閉じ込めてしまう。出ていってほしいのに。わたしはこの状態を心が乗っ取られてしまっている状態とか言いがち。言い訳ばかり上手くなってしまったな。それも事実として私なのにね。心が乗っ取られてしまうともうどうしようもないんだけどそういう時に頼りになるのがひかりだと思う。ひかりの力を借りる時。でも私はまだそこまでは強くなくて、冒頭にも書いたようにひかりは私の生活や人生とはかけ離れた言葉や存在だと思っている私もまだ居てひかりを思い出したりするのにも一苦労で、ひかりの存在を頼りたい時に必ず頼れるというわけではない。上手くひかりを辿れなかったりしてその日をダメにしてしまうこともまだまだある。でも光を頼れるようになったことは私の人生にとって大きなことだと思いたい。私にとってすごく良いことだと思う。私がひかりを頼りたいときは必ず音楽を聴く。音楽というのは本当に発明だと思う。これさえあればどこだって行ける。こんな事を自分が思うなんてらしくないな。らしくなくて嬉しいです。音楽は私が思っている以上に私の生活に交わっていて溶け込んでいる。綺麗な景色や風、光。日常のなんでもない瞬間。部屋で1人で天井を見て泣いている時。泣きながら帰る帰り道。どの瞬間にも音楽はそばにいてくれて心に歌いかけてくれる。それで涙が止まったり、余計に溢れてきたり。私にとっては音楽自体がひかりのようなものなのかも。私が音楽はどこにだって行けるというのはそれだけの理由じゃなくて、私だけの記憶の中へ連れていってくれるからということもある。誰に話しても分からない私だけの記憶の中へ音楽は連れていってくれる。たった一回、再生ボタンを押すだけで。(ほら、これは発明でしょ?)思い出すのは幸せだった時のこと。好きな人のライブに行った時のこと。その日の空や天気、食べたもの、帰り道の月。自分でもびっくりするくらい思い出すことがある。こんなに記憶力が悪いのにな。記憶の中の私に戻ったり、記憶の中の私を客観視したり。私は泣いていて、その涙はどうして流れたのかとかなぜ涙が止まらなかったのかっていうのも私は知ってて覚えてる。ぎこちなく笑ったりもしていて、その時の頬の緩み方とか思っていたこと、見えていた景色のことを思い出す。本当にたくさんのことを思い出す。そういう時に私の心の中で光が強く発光する感覚がある。真っ白に、あるいは燦々と降り注ぐ陽の光のような。気づくと涙が出ていて「助かった」と思う。私は過去なんてものはすぐ忘れたい、葬りたいと思っていた。けど過去の私の記憶が光になって私自身を救ってくれることがあるんだな。生きているうちに知れてよかった。私がこういう文章を書く時、必ず顔が浮かぶ人がいる。その人に出会ってから今日までずっとその人は私に色んなことを教えてくれた。その人の歌はいつでも私の心の最も近い場所にいてくれて撫でていてくれる。その人の言葉は同じ世界の言葉だと思える。話が通じた、というだけで救われる心がある。辛い時、泣いている時、どうしようもなくなった時にどうすれば良いかなんか分からないけど、その人の歌や言葉を聴いたり思い出したりするだけでなんとなく自分の中で明るい方角がどっちなのかがわかるようになる。私が迷子にならないようにいつでも光っていてくれる目印のような人。今の私にとってこの方はこの世でたった1人の人として生きているひかりです。この人といる時だけにしか湧かない感情やできない表情があること。この人といる時の私が好きです。私の真っ直ぐ正しい状態のように思える。私がひかりとして思い出すのはこの人との記憶ばかりで、全てが特別な宝物です。おばあちゃんになっても大切に覚えていたいな。自分の人生なのか疑ってしまうくらい幸せだと思えている時の私。ここまで生きていてよかったと思えている時の私。全てが報われたような安心に包まれている時の私。どの瞬間にも目の前にはこの方が居てくれました。私はたまにその記憶を辿って光として束ねて一緒に連れて歩くのです。足元を照らされただけでもとても救われたような気がして安堵の涙が溢れてきます。毎日照らしてくれてありがとう。私もあなたを照らしたい。傲慢かも知れないけど、あなたの記憶の中で私が一瞬でもいいから、火花のような小さな光でもいいからあなたの目に映るひかりになれますように。いつもありがとう。アユニ・Dさん。愛しいひかり。f:id:daidoku:20220228151754j:image