好きなところ 記2022年6月7日

無邪気なところ。子供みたいになる。子供のあの、突拍子もない感じ、恐れるものがどことなく矛盾した感じ。大人にはわからないような、自分の中のマイルールや信念のようなものがあってそこに関しては大人顔負けのブレなさがある。イメージがつくと思う、言い負かされて困惑する大人の顔が。そんな無邪気で奔放で無敵さまで感じてしまうようなきみの子供っぽさが好きだ。それは恥ずかしいのにこれは自分からやれちゃうんだ。みたいな。ときどき怖いものが何もなさそうにも見えたりして。子供の自信に満ち溢れた自慢話みたいにキラキラした目で周りを置いて話し始めるところとか。うらやましさまで感じるよ。あどけなさが美しいものなんだって思えたのはきみに出会えたからだ。いつまでも、何歳になっても、大人になんかなりきれなくていいよ。側転で帰ってたきみが、一日中かっけこしてたきみが、ずっときみのこころのなかに生き続けますように。これからも何かに夢中になったり、かと思ったらすぐ飽きたり、しょうもないことでゲラゲラ笑っていてほしい。コーヒー飲めるようにならなくても飲めるようになっても、どっちにしたってきみにはカルピスが似合う。お菓子もらったらうれしいよね。お土産たくさん買いなね。子供にはもう戻れないけど子供の頃からずっと変わらないモノを自分の一部として生きていているきみをとても素敵に思う。

 

素直なところ。口が滑る、顔に出る、態度に出る。一見、悪口に聞こえてしまいそうだけどそうじゃない。表に出る人間らしく、いつもにこやかで穏やかで、プロの一面があるのは確かだけどその少しの隙間に本当っぽい表情だったり振る舞いがある。そこに人間臭さを感じる。きみに限って言えることじゃないけど、そういう親近感を感じれるとなんとなく敵じゃないって思う。初めてきみのことを見た時もそう思った。何がそうさせてるのかはわからなかったけどとにかくきみのことが気になった。なんでもないあのときの正体不明の感情が今を繋いでくれているのだと思うと、そういうはっきりしないようなこころの反応も見て見ぬふりしないでいたいと思う。きみに出会ってから強かにそう思えるようになった。少し嫌な顔してもいいよ。ニコニコだけじゃなくてたまには俯き顔だってご愛嬌じゃんね。舌打ちだって愛してるけど私は。そんなこと起きないくらいきみは優しいんだけど。歳を重ねるごとに言いづらくなったり言うのをためらってしまいそうなことも伝えようとするところ。そういうことをとても大切にしているのだろうととても感じる。その声や表情に照れくささや恥じらいがあるのもまた良い。きみのその滲み出る純粋さや素直さは言葉をより本物っぽく、生々しくする。不器用さというのは裏を返せばひと際の誠実さや清らかさを生むのではないだろうか、ときみを見ていると思う。私もきみのように素直な人間でありたいと思う。

 

優しいところ。危うさまで感じてしまうような、脆さと隣り合わせのささやかな優しさ。思いやりの範疇を超えたあたたかさ。これは真似しようとしても誰にも真似できないくらいきみの唯一無二の特性ではないかと思っている。愛や優しさの形はきっと人それぞれで、そのたくさんの色や形の中で今私が一番好きだなと思う優しさの人。優しさの中にまた優しさがあるような丁寧な優しさ。泣いているときずっとそばにいてくれてただそれだけで安心できてきちゃう人みたいな柔らかくて慎ましい愛が溶けた優しさ。分かり易くない些細な優しさほど私は「優しい」と感じる。相手に受け取られることを意識していない、鼻から気づかれた時のことを考えていない、無償のものに思えるからだ。きみはほんとうに優しい。言葉や行動の随所にその優しさからの配慮だったりが表れてて私はそれに心を打たれてしまう。泣いてしまう。優しくて泣くみたいなことがあるんだなと。これからも周りを巻き込んで優しさを紡ぐような人でいてほしい。つくづく包容力の人だ。いつもありがとう。

 

 

つづく